旅行記Vol1_読者層
ともあれ……軽い文体にしよう。『アメリカの鱒釣り』は名文。余白を感じるように。
方針が決まったらここに書きます。
以下は方針が決まらないのでうだうだ書くテキスト
レヴィ=ストロースの構造主義とか、キリスト教の伝来とか、キリスト教美術の歴史とか、世界大戦時のマルタとか、私の体験の外側にある「旅行記」ではない知識について、どこまで解説すべきだろう。
読者には万全の状態で楽しんでほしいという気持ちはある。
ある出来事に対して、私が見た星図(連なる線)を読者も追体験できるようにしたほうがいい、という案1
体験や感受性なんて人それぞれなので追体験だの共感だのは不可能だ、そんなこと出来ると思うことが烏滸がましく、人は理解しあえない、という案2
普段の私(小説を書く私は)どちらかといえば案2だが、今回に限っては1に傾いている、というか決めあぐねている。どうしたもんかな。
2の理由:主に小説をwebで公開しているため、「分からない単語があったら別窓開いてググるだろう」と読者を評価しているので。
1に傾く理由:今回に限っては事情がややこしい
言っちゃ悪いけど知ろうとしない人は知らないままだから
感受性が低い……というか……レンズが曇っている人には何を施しても無駄
そういう人はただが意見の発表ができないだけかもしれない、見えてはいるけど、見えているものを説明するのが下手
啓蒙は上から目線になるが啓蒙がたりない
知識の受動喫煙ができますように