旅行記:2018年1月いわき1
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本記事は2018年1月のカオス*ラウンジ新芸術祭を見に、いわき市の泉を訪問した感想です。 いろいろあってupできなかったブログ記事からサルベージ。
※ 明確な間違いがありましたら、恐れ入りますがご指摘いただけると幸いです。特に神道。
展覧会名:カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇「百五〇年の孤独」
主催:合同会社カオスラ
会場:zitti (〒971-8172 福島県いわき市泉玉露2丁目2-2)ほか、泉駅周辺の複数会場
↑PCブラウザとモバイル端末で見え方が変わり、PC版サイトではWindowsのデスクトップ、モバイル版サイトではiOSのホームを模している。「狂い」に対するすさまじい臨場感を表現しているので、ぜひこのサイトだけでも訪問してほしい。
展示のレポートについては、こちらの仏教タイムス・中外日報の記事の方が詳しいです。
以下の黒瀬陽平氏のツイートから記事の画像を見られます。
実は、3月1日の仏教タイムスに市街劇『百五〇年の孤独』のレビューが掲載されました。さらに実は、2月9日の中外日報にもレビューが掲載されており、これでなんと『百五〇年の孤独』は仏教界2大紙を制覇したことになります!!しかし美術業界にこの凄さが伝わるだろうか、、
その他、各種美術展紹介サイトやtogetter(作家の発言もあるのでオススメ)をどうぞ。
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この市街劇「百五〇年の孤独」は会期が短い。美術館などの建物のなかで行われる展示ではなく、市街劇、つまり泉の街全体で行われる。鑑賞者はまず指定された泉の古物屋を訪問し、展示品(作品だけでなく史跡も含む)の置き場を書いた地図とカオス*ラウンジからの手紙をもらい、地図を頼りに自分で展示品を見つけに行く。そういう理由から会期が限られ、12月から1月の週末のみ鑑賞することができた。
展示の評判を聞いたのが1月27日土曜日。会期最終日は明日1月28日日曜日。東京からのアクセスを調べると、東京駅発いわき駅行きの高速バスが片道3500円弱だった。いわき行きを思い立ったときにはすでに深夜に近い時刻で、「百五〇年の孤独」の題材である廃仏毀釈についての前知識はほとんどなく、寝不足のまま翌朝の高速バスに飛び乗った。東京駅から片道3時間の旅だ。
バス車内で(それから帰宅後に)インターネットを使って廃仏毀釈について調べたことを以下にまとめた。
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【神仏分離令・廃仏毀釈について】
福島県いわき市泉(旧泉藩)は明治維新の神仏分離令によって、約60あった寺院が全て廃寺になった。2017年現在も泉の寺院は2つしか復興していない。泉の葬儀ではいまでも仏教式(戒名が与えられる)ではなく、神道式(墓碑名が故人の本名になる)が一般的だそうだ。
廃仏毀釈の背景については、薩摩藩の影響による宮崎・鹿児島の仏教弾圧を綴ったドキュメンタリー『廃仏毀釈百年』(佐伯恵達・鉱脈社(みやざき文庫)・1988)の、「千夜千冊」で解説されている。
神仏分離令は単なる「分離」に終わらず、暴徒による寺院・宝物・仏像の「破壊」=廃仏毀釈を引き起こした。
日本への仏教の伝来は6世紀前半(古墳時代の最後期)、朝鮮半島を経由して中国からもたらされた。当時の豪族は「日本には昔からの神々があるから仏教は必要ない」という物部(もののべ)氏の主張と、「中国はじめ諸外国で信じられている仏教を取り入れるのが、日本の政治に有利だ」という蘇我(そが)氏の主張に分かれて争い、蘇我氏らが勝利した。こうして仏教という思想が古代日本で政治利用されるようになった。
聖徳太子は仏教と儒教の教えを使って日本の統治システムを改革した。8世紀、聖武天皇は飢饉・疫病などによる社会不安を仏教でおさめようとし、奈良に東大寺大仏を建立し、全国に国分寺・国分尼寺をおき国を治めようとした。
平安時代、権力争いに明け暮れる貴族たちの不安を祓ったのは儀式的な密教だった。また出家して修行を積まなくても、阿弥陀佛のちからで極楽往生できるという浄土信仰も人気を得た。鎌倉時代の武士には、禅宗の無常観が歓迎された。
鎌倉時代に生まれた新仏教の浄土真宗と日蓮宗は、信仰によって農民の大きなグループをつくった。彼らは階級社会を覆し、平等な社会を作ろうと、戦国時代に大規模な一揆を起こし、しばしば武家政権と衝突した。
江戸幕府は、宗教運動が政治的反乱に結びつかないよう、切支丹(キリシタン)や一部の仏教宗派を禁止したうえで、その他の仏教にも制限を与えた。幕府は、寺社の(葬儀を除く)宗教活動を禁止し、寺には地域の戸籍を割り振り、住民(信者)の生死を管理させた。
このように、日本の仏教は治世の制度として利用され、庶民の生活では神仏は習合(=折衷)されていた。たとえば、仏教用語の「成仏」や「極楽往生」がいまでも(神道的な)死後の世界と混合されている。仏教において死後の世界はない。あるのは輪廻転生である。
「成仏」: 悟りを得て仏になること。
「極楽往生」: 阿弥陀佛のいる「西方極楽浄土」へ「生まれ変わる」こと。極楽往生だけではまだ悟っていないが、極楽には悟りへの妨げとなる煩悩やけがれが無いため、成仏が約束される。
「成仏」「極楽往生」どちらも死後の世界ではなく輪廻転生後の世界を指す。しかし日本の口語では、成仏も往生も死と同義に扱われている。
民間信仰では、神社のなかに寺が敷設される神宮寺が建てられた。 江戸時代末期、開国を迫られた日本は、対外的により強固な統治システムを作る必要にかられた。江戸幕府の征夷大将軍が新たに「日本国王」になるには根拠に乏しかったため、古くからある天皇制の再整備が求められた。そこで天皇制に歴史的あるいは思想的な根拠を与えるために、日本の神話が利用された。日本には日本の神がおわし、天皇は日本の神の正統な末裔であるとする。こういった理由で仏教から神道へ国教の切り替えが行われた。
日本では仏教伝来後の飛鳥時代から仏教と神道が生活のなかに共存していた。というよりも神道の穴を埋めるためには、仏教をはじめとした外来の思想が欠かせなかった。神道は「思想」として未熟なのである。日本の急激な近代化により、仏教は追い出され、神道は思想として円熟することなく国体に利用された。
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泉は2011年の東日本大震災だけでなく、1868年(慶応4年)の廃仏毀釈の被害にも遭った。廃仏毀釈を市民の暴走による災害と捉えるなら、泉は二度被災した地域だ。
「市街劇」と題された今回の展示「百五〇年の孤独」では、鑑賞者はカオス*ラウンジからの手紙を片手に泉地区を歩き回り、かつての寺院の跡地と展示作品を鑑賞する。手紙はスタート地点、途中にある会場、ゴールの会場で計3通受け取る。
負の遺産を観光することを「ダークツーリズム」という。「百五〇年の孤独」は手紙をもとに廃仏毀釈の「被災地」をたどるダークツーリズムだった。
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いまだに、カオス*ラウンジ・Chim↑Pom・村上隆・会田誠などの作家を「芸術ではない」「理解できない」という主張をweb上で見かける。そういう人々が芸術として認めるのは、上田薫の生卵をはじめとしたスーパーリアリズム/ハイパーリアリズム(=実物よりもリアルな超細密画)の系譜のようだ。Twitterで「これすげえ!」と賞賛とともにRTされるのは、トリックアートを含むハイパーリアリズム(例えば、黒板にチョークで描かれた細密画)ばかりである。上田薫を例にあげたが、確かに生卵のツヤや流体には、まじまじと見ると美しさが感じられる。なによりも現実をリアルに描ききった超絶技巧を目の当たりにすると「なんだか分からないけどスゴイ魔法」を見たような驚きがある。 美しいだけの超絶技巧には「なぜ(こんだけ写真・動画撮影が身近なこのご時世にわざわざ)それを描いたのか」という理論や理由がない。ハイパーリアリズムが最初に興ったころには、現実以上にリアルな写実画を描くことで、当時流行っていた「抽象画」への批判や、写真以上に細密に描くことで「写真」を批判するという意図があった。しかしいまTwitterでRT数を稼ぐハイパーリアリズムにそのような思想はない。描くことにも理由がない。強いて言えば、「絵を描くことが好きだから描く」という極めてピュアな動機だけで描かれている。
そのように作られた理由のない作品を鑑賞するとき、鑑賞者も無思考に陥る。
一方で、「なぜそれを表現したのか」という思考や理由を伴う芸術は、日本の市民にはまったく無視されている。考えることに慣れていない人々は、何が描かれているのか分からない抽象画や、一般的な倫理観では美しいと測れない作品を前にすると、「分からない」「なぜだろう」と悩むよりも、「分からないものは見たくない」「あんなものはアートではない」と作品を突っぱねてしまう。
よくネットで「あんなものはアートではない」と槍玉に上がる作家たちに共通しているのは、いずれも理由に裏打ちされた作品であり、鑑賞者に考え事を強いる点だ。
作家は、自身の直感や天才だけで作品を作っているのではない。作品の背後には作家の思想や理論がある。
作品は、作家の生きた時代の社会問題を表していることもあれば、美術史での前世代に対する批判や新たな提案であることが多い。
ただし、こういった「理由ありきの作品」には弱点がある。それは、作品の理由づけが強固になりすぎると、理由の説明だけで制作意図が完結してしまい、作品の影が薄くなってしまうことだ。作品それ自体よりも作品に対する説明文のほうが強くなり、作品を見なくても、作者の考えが分かってしまう。それはもはや作品ではなくただの論文だ。
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【廃仏毀釈のダークツーリズムと「百五〇年の孤独」の感想】
「百五〇年の孤独」の出展作品はとても面白かったのだが、カオス*ラウンジのいつものコラージュ作品の見た目よりも、作品コンセプトの説明文や、自分の足をつかった「ダークツーリズム」の方が圧倒的に面白く感じられてしまった。
地図を片手にめぐって訪ねた「永泉寺跡」「荘厳寺跡」は、かなりぞっとするものがある。このふたつの寺院はいずれも廃仏毀釈によって境内が破壊された。お堂の跡は残っておらず、破壊できなかった墓石や碑だけが住宅地に空き地として残っているため、言われなければ寺跡だと気付かない。 永泉寺跡は現在は墓地として利用されている。ここ泉では廃仏毀釈の影響で神道式の葬儀も多く、見慣れた仏教式の墓石と卒塔婆や故人の名前のない神式の墓石が並立する独特の空間になっている。墓碑からふと目をそらすと、一角にたくさんの小さな無縁仏の墓石が寄せ集められていた。なかには石橋に流用された墓石もあった。
いま(2019年3月)プラハのユダヤ人墓地にひしめきあう墓碑を思い出す。墓碑は死者たちの体積。 永泉寺跡が一応墓地として役割を果たしている一方、荘厳寺跡は、同じように墓地になったあと何度か移設されて、現在の場所に残った。こちらはもはや墓地としても機能しておらず、行き場のない無縁仏や供養碑をただ集めただけの場所である。
実際に訪れて、行き場をなくした墓の墓地みたいだとも思った。例えて言うなら死という想念が機能していない、「死」が死んでいる状態がそこにあった。
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ストリートビュー
「百五〇年の孤独」では、スタート地点の第1会場(zitti)、第2会場(密嚴堂)、ゴール地点の第3会場(子安観音)の計3通の手紙を受け取る。手紙には次の会場の案内と、カオス*ラウンジが泉の廃仏毀釈を作品にするに至る経緯が書かれている。その手紙がとにかく面白く、脚色されたストーリーなのではないかと思うほどだった。
泉の廃仏毀釈を記録した書籍『泉藩領廃仏毀釈 消えた寺院考察』を知った主催者たちは、本のコピーを頼りに著者である故・水沢松次氏の調査内容を追う。そこで、泉にあらたに寺を建立しようとしている僧侶の松井氏と出会い、第2会場の「密嚴堂」を協力して開山する。また、第3会場「子安観音」では、『消えた寺院考察』の原本と、水沢氏の直筆原稿を発見する。
会場間の移動は最短距離を通るものではなく、手紙で紹介された寺院跡や野外展示を寄り道しながら歩くため、次の会場で手紙を受け取るまでには徒歩10〜20分程度のタイムラグがある。
手紙が3通に分かれていることと、会場間の移動を挟むことによって、通常の美術展にはない、作品と作品の間の「考える時間」が設けられていた。会場間に広がる風景は、とにかく普通の街道沿いの住宅地で、誰にでも見覚えのある風景なのではないかと思う。町中を歩き回るうちにだんたんと街への親しみも湧いてきて、この泉を他人事ではなく自分の出来事として受け止めて作品に向き合うことができた。
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義憤、悲観、あるいは爆笑は、反射的な感情の爆発であり、活動のきっかけや原動力にはなれど一過性だ。ヒット=buzz=流行は一瞬の出来事だ。一瞬で盛り上がり、一瞬で忘れ去られる。
現代はとにかく情報の新陳代謝が激しい。新しいものが次々に生まれ、爆発的に持て囃されるが、翌日にはエネルギー切れを起こして飽きられている。コンテンツは数日で古くなるが、インターネット上で古くなったものは知識・経験として積み重ねられることがなく、何の礎にもならず、何も残さず、ただ忘れられていく。
爆発的な感情に流されているうちは、思考も記憶も、時間経過によって忘れてしまう。記憶するためには、一過性の爆発に頼ることなく考えなければならない。たとえば難題を突きつけられて自分の頭で悩まされたり、他者の出来事を我が事のように親しみやあわれみ【注3】をもって感じることができたら、その場の流行に流されることなく、ずっと覚えていられるだろう。
【注3】東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』で論じられている、「あわれみ」の思想に影響を受けている。
現代の芸術に使命があるとすれば、「一過性の感情に依らずに、忘れないでいること」の支援だと思う。
それは学問にも該当するだろうし、信仰がとても長い間人間にとって欠かせなかった理由でもあるだろう。
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アーティスト:藤元明 タイトル:2021
「2021」数字はただの数字の並びです。2020年開催される東京オリンピック、その影響力は東京を中心に非常に強く発信され、まるで日本社会が生まれ変わるような期待感を促しています。藤元は、このオリンピックに込められる、日本の復興や扇動される高揚感と幻想に対し、その後に必ず訪れる現実への目覚めの瞬間を、巨大なシンボル「2021」として様々な場所に投影してきました。(後略)
カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇「百五〇年の孤独」キャプションより
『2021』はただの数字である。2020年には東京オリンピックが開催され、何か特別な数字のように思える。しかしその先の2021年、私達の未来はどうなっているだろうか?
こういうことを否応なしに自分の頭で考えさせられ、はっとすることが芸術だ。 ------
多くの日本人は「自分は無宗教」だと自認しているが、日本人の生活には神道の行事、仏教の行事、神仏習合した行事が根付いている。葬儀は仏式が定番だが、初詣・お盆・七五三などの祝祭は神社でも寺院でも行われる。祭りやお祝いとして、神道の儀式は生活に根付いている。
神道は儀礼として根付いているが、神道には教義を整理した教典がない。神道の文献はあるものの、聖書のように公式に定められた正典がなく、文書が散在している。つまり神道には体系がなく、まとまった思想とは言い難い。
プロテスタントの神学校に通う知人曰く、「宗教」の定義は (1) 集う場所・(2) 指導者・(3) 教典 の3つを有していることらしい。さらにいえば「宗教」という言葉自体が開国後に輸入・翻訳された外来語である。
つまり、日本に「宗教」は無かった。
日本には古くから土着のアミニズム(神道)と大陸から取り入れた哲学・思想(仏教/儒教など)が共存していた。恐らくだが、その結果、体系化された神道の正典=「日本土着の哲学・思想」が生まれなかったのではないだろうか?
例えば、仏教では抽象的な概念である「死」について、輪廻転生(死後は生前の行いによって極楽浄土や地獄に生まれ変わる)という思想が整理されており、そこから善く生きるべしという道徳づけが生まれる。一方で、儒教をはじめとした古代中国思想は神への信仰ではなく、統治のために作られたマニュアルなので、生きる上での道徳は論じても「死」などの抽象概念は取り扱わない。
神道の神々は、日本人の祖先とされている。日本の神々は人間やその他の生物と同じように出産し、病や怪我で死ぬ。死後の世界(ヨミ)は地下にあり、死んだ神もヨミの国に行き、神の体は腐敗する。
日本の土着の信仰では、山奥や海のかなたに他界(常世の国)があるとされている。しかしそこは単なる死後の国ではなく、理想郷であり、不老不死の世界・神々の住まう国・豊穣をもたらす場所とされ、死後の安寧と現世の幸福・来世の幸福が重なって区別し難い。
日本人の思い描く天国と、仏教やキリスト教の天国は異なる。仏教・キリスト教などの「天国」「極楽」は、死後の世界ではなく「死後生まれ変わる理想郷」だが、日本の天国=常世の国は「死後の世界」と「死後生まれ変わる理想郷」が混合されている。
日本には神道という土着のアミニズム思想があったが、中国から仏教・儒教が伝来した。そこで仏教・儒教思想の良いところを借り物として折衷し、神道(日本思想)の補完を行った。
日本思想は土着の神道思想を、仏教の死と救済の思想、儒教の道徳マニュアルで補い、神道・仏教・儒教が折衷した状態で生活に根付いていた。神道思想の穴を仏教で埋めたのが神仏習合だ。つまり日本神道自体は未決定の部分を残したまま、体系化されることがなかった。
飛鳥時代に行われた儒教・仏教の習合が、明治維新の西洋思想の輸入でも行われた。例えば「人権」「芸術」「動物園」の概念は西洋からの輸入品だ。 習合や折衷は完全な受け入れや理解ではなく、表面的なつまみ食いである。理論は歯抜けのまま、今日も埋まっていない。
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この日はこのあと同市内の「アクアマリンふくしま」を見に行きました。
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【参考資料+念頭に置いたもの】
橋爪大三郎 (2006)『世界がわかる宗教社会学入門』ちくま文庫
飲茶 (2016)『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』河出文庫
畑中章宏 (2017)『21世紀の民族学』角川書店
東浩紀 (2017)『ゲンロン0 観光客の哲学』ゲンロン
伊藤聡 (2012)『神道とはなにか 神と仏の日本史』中公新書2158
※ webサイト参照時刻はいずれも 2018/01/30 22:00 JST