プラネタリウム
満天の星空を見上げて、矢印が手を伸ばした。
「北の夜空に輝く、Wのかたちの星座は、カシオペア座です」
矢印がジグザグに、恒星のあいだを架け渡し、夜空のドームの表面に白い線を残した。
「Wのカシオペア座が見つかったら、夜空の北を示す北極星も見つかります。
カシオペア座のWの右の辺と左の辺をそれぞれ延長した交点から、Wのまんなかの山に向かって、5倍伸ばした直線の上に、ちょうど北極星が見られます」
「……少しむずかしいですね。ではこういう探し方もしてみましょう。
北の空には有名なひしゃくの形の星座があります。そう、北斗七星ですね」
私達は、私達が思い浮かべたとおりに、星と星の間が線で結ばれるのを眺めている。背もたれに深く身体をあずけて、夜空を見上げ、矢印の行方を見守っている。
「北斗七星のひしゃくの長い持ち手のほうではなく、水をためるひしゃくの先端、このふたつの星の間の距離を、1、2、3、4、5倍伸ばします。この方法でも北極星は見つかります。こちらのほうが覚えやすいですね」
誰かは、宮沢賢治という作家が、いま聞いた話と同じ歌を作詞作曲したことを知っている。
大ぐまのあしをきたに
五つのばしたところ
小熊のひたひのうへは
そらのめぐりのめあて
『新編 宮沢賢治詩集』
「この北極星はこぐま座という星座のなかにある星です。そして北斗七星は、おおぐま座という星座の、じつはしっぽの部分を指してそう呼んでいます」
満天に散らばる星々の上に、ずいぶん古めかしい絵柄の線描画が重ねられる。水をすくうひしゃくの柄が、クマと呼ぶには似ても似つかない、異国のサルのような長い尾に移り変わる。空には大熊と小熊、2頭の獣が、陰陽太極図のように背中合わせにして向かい合っている。
声の主は2頭のクマがどうして天の星座になったのか、どうしてかれらのしっぽがクマと思えないほど長いのか、ギリシャ神話を紐解いて、クマに姿を変えられた母子の物語を語ってくれるだろう。
プラネタリウムはおおむねそういう場所だ。
私たちはプラネタリウムのみやげ屋で星座早見盤という道具を買うことができる。それは2枚の板またはお盆のような浅い半球が重なり合い、上の板と下の板は北極星の位置に打った鋲を軸に回転する。上の板を本日の日付と時刻にめもりを合わせて、南を向いて天に掲げると、その夜見られる夜空の星を、板の上にシミュレートできる。夜空の地図というわけだ。
私たちは夜空を見上げ、そのうちの誰かは星座早見を手にしながら、まずは北極星を探す。北極星を探すために、まずはこの夜空のなかから、カシオペア座か北斗七星を見つけ出さねばならない。
星座早見から目を離し、私たちは地球外の暗闇に目を凝らす。Wとひしゃく、単純な形の星座なのに、案外見つからないことに気がついて、私はひとり頷くのだった。
現実の夜空に星座はない。
星座をつなぐ線は、プラネタリウムの天井や星座早見の盆の上、私の頭のなかにしかない。文字通りに架空の線なのだ。
***
色々な偶然や、不運や友情や約束などで、2017年・2018年はなにかと遠くへ出掛けることが多かった。
特筆しなければならないだろうと思うことは、2018年の夏から秋に、69日かけてヨーロッパをひとりで巡ったときのことだ。この本にも書きたかったけれど、ヨーロッパの話を書く前に、ヨーロッパへ行く前に国内を旅した出来事もつなげて記したかった。私にはこれは一連の旅、同じ線でつながる記憶だった。のち公開する予定のヨーロッパ旅行記の、準備号としてこの本を作った。
この本では星々よりも見えざる星座の線、ある出来事と別の出来事の、ときに飛躍したつながりを書こうと思う。シュルレアリストのようにちょっと現実を捻じ曲げてでも、出来事のあいだのつながりを面白がって書いていきたい。だから事実の正確さは担保しきれないし、ときには主語と述語が対応する散文=ふつうの文章の形も守らないだろう。
考え事に沈むうちに、形而上の想念にもよくアクセスすることになった。日本の神にも砂漠の唯一神にも忌憚なく思いを綴ったので、なんらかの敬虔な信者はたぶんテキストを読まないほうがいい。まあ、神と、宗教という体系は別物で、本書は日本神道というシステムへのダメ出しがけっこうなページ数を占めている。
----------