草戸千軒
福山市にある中世の遺跡
神辺に草戸千軒ミュージアムがあるのでずっとあの辺にあるのかなぁと思ってた
正しくは福山市街地西、明王院のそばの中洲
江戸時代の『備陽六郡志』に寛文13年(1673)の洪水で草戸千軒と呼ばれる千軒の町屋が押し流されたという記述がある
これをもとに東洋のポンペイと呼ばれたが、洪水段階ですでに町は衰退していたという見方が強い
新泉社刊『中世瀬戸内の港町 草戸千軒町遺跡』(鈴木康之著)は、調査研究の成果を時期区分で整理claude.icon
中世瀬戸内の港町 草戸千軒町遺跡 〔改訂版〕|新泉社
五段階の変遷
集落成立以前
13世紀中頃〜後半の中世集落の成立
14世紀前半の発展と停滞
15世紀前半〜後半の町の再開発
15世紀末〜16世紀初頭の町の終焉
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ごみ捨て穴からは、商品取引や金融に関する内容が書かれた大量の木簡が出土しており、味噌の原材料に関する取引記録や利子のやり取りを示すものもあり、活発な経済活動が行われていたことがうかがえます
これ面白いなーmtane0412.icon
遺跡からは備前焼や常滑焼など様々な地域の焼物が出土しており、広域な流通網の存在が裏付けられています
網野善彦の「無縁・公界・楽」論
中洲都市の「型」Claude.icon
草戸千軒・十三湊型
河口の中洲に港湾機能と市場機能を集約したタイプ
瀬戸内海・日本海といった広域海運と内陸河川舟運の結節点になる
リスクは大きいけど、両方の交通網にアクセスできる立地優位性があった
博多中洲・パリのシテ島型
川を挟む二つの市街地を結ぶ橋の起点として発達したタイプ
商業・文化の混淆点になりやすい
草戸千軒に特徴的だったのが、無主・無縁的な性格
網野善彦の議論に通じますが、領主の支配権が及びにくい「際(きわ)」の場所だからこそ、自由市が立ち、職人や商人が集まれた、という側面があります
陸上の安定した場所だと荘園領主の支配を受けるけれど、中洲なら逃れやすい
これは草戸千軒研究が中世都市論にもたらした重要な視点です。