自由意志
人間のうちにあって、自然の因果の必然によって規定されずに自発的に発動する能力が自由意志である。そうした能力の存在は、選択とか意志決定の自由として意識される。 もっとも、スピノザによれば、人間が自由意志をもつと信じるのは行為の真の原因について無知であることによるので、人間の意志や行為もすべて因果の必然によって規定されていることになる。このように自由意志の存在を否定するのが決定論で、現代の科学者や科学哲学者のなかにも決定論者は多く存在する。 だが、自由意志の問題は、もともと理論的であるよりも実践的な問題で、たとえばカントによると、理論的認識の妥当性は因果律が支配する現象界に限定されるから、自由の存在は理論的には証明不可能であるが、しかし実践理性は人間が従うべき道徳法則の存在を認め、そこから自然の原因性とは異なった自由の原因性が英知界において成立することを確認する。 すなわち意志の自由は、自分自身に対して道徳法則を課し、かつそれに従うといった意志の自律であって、この自由は非決定論的な選択の自由ではなく、道徳法則によって規定された善への自由を意味する。
なおヘーゲルは、カントの説く自由はまだ有限的で主観的な意志の自由にすぎないと批判し、真に無限にして自由な意志は、即自かつ対自的にある意志で、それは意志の形で自己を貫徹する思考であり、したがって自由とは、実は認識された必然にほかならないと考えた。