相対主義
相対主義(そうたいしゅぎ)とは - コトバンク
絶対主義に対するもの。認識,価値の相対性を説く立場。
哲学史的には,最初ゴルギアス,プロタゴラスらのソフィストたちによって主張され,プロタゴラスの「人間は万物の尺度である」という主張は知識,価値が個人との関係において相対的にしか妥当しないことを表わしており,その立場は主観的相対主義であるといえよう。
相対主義は知識,価値の普遍妥当性を認めないところから懐疑主義と結びつく可能性があり,神学,形而上学に対して批判的であり,ルネサンス,近代では,M.モンテーニュはモラリストの,T.ホッブズは功利主義の,J.ロック,D.ヒュームは経験論の立場から懐疑論的相対主義の立場をとった。
I.カントは先験哲学の立場から経験的認識の相対性を認め,先天的認識を説いた点において批判主義的相対主義の立場に立つといえよう。
19,20世紀では,A.ショーペンハウアー,F.ニーチェ,生の哲学では W.ディルタイ,実存主義では J. P.サルトル,プラグマティズムでは W.ジェームズらが相対主義の立場に立っている。
また新カント学派では存在と価値とが区別され,価値の相対性が説かれた。また価値に関しては,善悪の規準が相対的にしか妥当しないとする倫理学的相対主義の立場がある。なお弁証法的唯物論は真理の相対性を認めるが,しかし絶対的真理への接近を目指す点においていわゆる相対主義と区別される。
相対主義(そうたいしゅぎ)とは - コトバンク
「絶対的な真理はありえない。どのような立場もそれなりに正しい」と主張する立場。
この立場の否定である絶対主義に相対主義を適用すると、これも正しいことになるので、相対主義はこのままの形では整合的に維持することはむずかしい。
しかし、実際に一つの論点をめぐって多くの立場が争っているときに、そのそれぞれの長所と短所を具体的に指摘し、どれにも絶対的な優位はありえないことを指摘することができる場合は意外に多いし、またそういう場合にその指摘はしばしば有効である。議会制度のように、多数の対立意見に平等な発言権を認めようとする制度は、この有効性の経験のうえにたつものであろう。
このような実際的な相対主義は、独断的に一つの立場の絶対的な正しさを前提し、これを他に強制するやり方に比べ、流血の惨を招くことが少ないとして、これを支持する者も多い。