好きこそ物の上手なれ
何事も、好きであってこそ上手になる。いまは未熟であっても、本当に好きならば上達する望みがある。 解説
文字どおりには、好きであればこそその道の上手である、とする一種の誇張表現で、まず好きであることが将来の上手につながることが強調されています。技能は未熟でも、好きなことにかけてはひけをとらない初心の者を励ましてくれることわざといえるでしょう。文法的には、強意の係助詞「こそ」を受け、「なり」の已然形「なれ」で結んでいます。古典文法でおなじみの「係り結び」が、現代に生きて使われている珍しい例といえます。
用例の「其角十七回」は、江戸前期の俳人宝たから井い其き角かくの十七回忌に編まれた句集で、注釈のなかで、かつて故人が「器用さと稽古と好きと三つのうち好きこそものの上手なりけれ」とよく口ずさみ、将棋の名人大橋宗桂も同じものを口にしていたことを伝えています。ことわざの背後には、芸能などの弟子を育てる名人上手の深い洞察力と温かい思いやりが感じられます。
出典不明
人間、持ってるエネルギー量は決まってるし、結果が出やすいことに体力使ったほうがいい。
頑張らず、楽に結果出せるのが一番いいんじゃねえのって僕は思います。
努力って言えるのかわかんない「苦にならない努力」ができるものだけ、選んできたんですよね。