チクシュルーブ・クレーター
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規模
諸説あるが、2010年にサイエンス誌に掲載された説では、衝突した小惑星(チクシュルーブ衝突体)の大きさは直径10-15km、衝突速度は約20km/s、衝突時のエネルギーは広島型原子爆弾の約10億倍(ツァーリ・ボンバの300万倍)、衝突地点付近で発生した地震の規模はマグニチュード11以上、生じた津波は高さ約300メートルと推定されている。 発見
1977年、ウォルター・アルヴァレスがイタリアにおいて、白亜紀末、約6550万年前の地層でK-Pg境界を発見。K-Pg境界は世界各地でその後発見されるが、この地層を境に恐竜を始めとして発見される化石の種類が激変することが分かった。また、K-Pg境界では多量のイリジウムが含まれ、小惑星の衝突によってK-T層ができたという説が浮上した。 この説が登場すると衝突跡を探す研究者が増えた。1990年代初頭にアリゾナ大学の大学院生であったアラン・ラッセル・ヒルデブランド(Alan Russell Hildebrand、1955年-、2013年2月現在カルガリー大学准教授)がハイチの山地で、K-T層に含まれ惑星衝突時の巨大津波で運ばれたと推定できる岩石を発見する。これらの岩石は特にカリブ沿岸に集中していた。ヒルデブランドと彼の教官のボイントンは研究成果を出版する。しかしカリブ海には肝心のクレーターを発見することはできなかった。 1978年当時、ペンフィールドはメキシコ国営石油で油田発見のため地磁気の調査を行っていた。ペンフィールドは磁気データが綺麗な弧を描いていることに気付いた。そこで彼は、ユカタン半島付近の重力分布データを地図に起こした。するとチクシュルーブ(Chicxulub)の村を中心として円を描いていることに気付く。このことを発表するが大きな関心事になることは無かった。 ペンフィールドは諦めずにいた。彼は1951年から続いていた付近のメキシコ国営石油の採掘井戸の1,300m付近からイリジウムを含む安山岩がでることを知っており、これがクレーター跡の証拠と考えていた。しかし同様の岩石は火山活動でも作られることが知られており、小惑星衝突の証拠として長い間否定的に見られていた。 ヒルデブランドは、ペンフィールドとコンタクトを取り、油田から出た岩石とヒルデブランドの発見した岩石と比較を行い、サンプルはほぼ小惑星の衝突で出来た物と推定された。