〈コラム〉「カワイイ」美学の歴史的系譜
https://gyazo.com/225a38f4c453f85443f9716ea645f4ee
a. 「カワイイ」への注目―海外と日本
"kawaii"
GoogleTrends(2004-2016)で検索量約4倍
2011年にはオックスフォード時点にも掲載
グローバル空間でのkawaii, cute, cool, beautiful
https://gyazo.com/0fb4caefa441e2582484729c2a39b3ea
cool > beautiful > cute > kawaii
大きく引き離されている
2008年以降、coolやbeautifulがほぼ横ばい
kawaiiは約4倍、cuteも2倍以上
日本
https://gyazo.com/d9fd2a457f788fc38467a93789ad34c3
日本でも他の感性言語に比べ「かわいい」の人気が大きく高まっていることがわかる 興味深いのはcuteが必ずしも上位に位置づけられる形容詞ではなかったが、日本では「かわいい」が大きく引き離している
日本では「かわいい」的価値観が他の感性的価値より高く評価される傾向の表れ
b. 「カワイイ」と「cute」の違い―未完の美学
「カワイイ」
「幼児のような愛くるしさ、守ってあげたいと思わせるような、人を引きつける魅力」を意味する「かわいい」の現代的表記
「可愛い」を好む心性は日本では古くから見られる
「うつくし」
日本の古い時代において「うつくしい」という感性的価値は「かわいい」という感性的価値と密接に関連していたと考えられる
「可愛い」と「cute」の違い
cute
acute(鋭い、利口な、抜け目ない)の短縮形
ポジティブな特性
可愛い
「かわいそう、不憫」という意味もある
「可愛い」には、ポジティブな意味とネガティブな意味の両方が含まれているといえる
あるいは「弱くてかわいそう、不憫」という特性にもポジティブな意味を見ていると言った方がよいかもしれない
日本文化の特徴としてつとに指摘される「未完の美」の思想と深く関わっている 「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生いき延のぶるわざなり」
何事も完璧に仕上げるのは、かえって良くない。手を付けていない部分を有りの儘にしておく方が、面白く、可能性も見出せる。
「茶道の要素は「不完全なもの」を崇拝するにある. いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから」
c. 外来文化の日本化―「悲しみ」の美学
日本文化における「可愛い」への志向は、外来文化の受容プロセスにも現れる
神々に敵対する者たちをアスラと呼んだ
「阿修羅は怒り狂った青黒い3つの顔を持ち、裸で六手、二足」という恐ろしい姿の神
日本でも、このような憤怒の形相をした阿修羅の図像は多い
しかし、興福寺の阿修羅像の身体は少年のように細くはかなげで、その表情は、怒りというより哀しみを湛えている
https://gyazo.com/4ef1437d7a7c9114cf12886d997edded
「可愛い」は「可哀そう」に通じ合う
「哀しみ」や「弱さ」に寄り添う美学は、醜さや「悪」をも許容する
阿修羅と同じく興福寺に安置された平安初期の傑作としてよく知られているのが、四天王像 https://gyazo.com/a2bc9cb39f958510d71825aca7c7501bhttps://gyazo.com/d2406aef2f50b4c7f7631ea056a5dd67
人々をひきつけるのは四天王に踏みつけられている邪鬼たちの「可愛さ」にもよっている 醜さや「悪」いわば「異質性」や「対抗性」をも愛しさの中に包摂しようとする感覚は、日本というローカリティの基層を貫く感覚と言ってよいだろう
d. 「カワイイ」の現代的意義
かつて無いほどの注目とグローバルな世界での受容
一つの理由
「カワイイ文化」が実は日本文化と欧米文化の反復的な交配種であるという事実
言い換えれば「カワイイ文化」は異なる社会をつなぐハブ
もう一つの理由
強い者、優れた者だけが評価され、弱い者、劣った者は排除されて当然という意識が、現代ではグローバルな規模で広がっている
しかし、人は不完全で多義的
その弱さや矛盾を、叱咤ではなく、ありのままに共感し、愛しんでくれるような存在を、現代人は切実に求めているのではないか
それは、現代哲学で注目される「弱い思考が「形而上学が科学主義的で技術主義的な成果をあげるなかで置き忘れてしまった…(中略)…痕跡や記憶としての存在、あるいは使い古され弱体化してしまった…(中略)…存在に新たに出会うための方途として理解」する志向性とも共振する 「カワイイ文化」をさらに育てるために重要なこと
一方で積極的に異文化との交配に挑戦する
他方で「不完全性」「弱さ」「哀しみ」「悪」をも内部に包含する「可愛い」の美学を貫く
e. 「カワイイ」は「cool」か?―関わり合いの美学
近年、「カワイイ」文化を「クール・ジャパン」の名の下に積極的にグローバル市場へ売り出そうという動きがある
しかし、「カワイイ」は「cool」なのだろうか?
完成度が高く、オーディエンスを受動的な立場に置くようなメディア
完成度が低く、その結果、オーディエンス自身がそのメディアにコミットし、補完することで初めて成立するようなメディア
「カワイイ」とは、まさにマクルーハンのいうような意味での「クール・メディア」である
「カワイイ」はそれ自体で自律的に存在する価値ではなく、人々がそこに主体的に関わり、コミットし、自己を投企することで初めて生成される価値
「カワイイ」の「クール」さ