3.1 120万人と人口の0.1%ーー書き方で数の印象が変わるのはなぜ?
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主に進化的視点から人々の推論過程を研究
主な研究分野
不確実な状況における数値情報の判断
人々は数値情報をどのように呈示されたかによって異なるしようと判断の傾向を表す
ブレイズはこれらの現象と関連する能力(異なる仕方で呈示された数字や統計学的情報が、いかに人々の行動や表面的合理性に影響を与えるのか)にも、これらの現象の応用の仕方(「大きい数字」や「小さい数字」への主観的知覚がいかにその後の評定過程と説得に影響を与えるのか)にも興味を持っている
特定の領域での推理
形式論理では、推論は必ず言葉の構造または文法に基づくとされる しかし、実際に意味のある言葉から推論するとき、人々は形式論理ではなく、情報の内容から結論を導き出している
ブレイズは情報の内容のどの部分が人々の推論に対して重要な役割を果たしているのかを研究している
社会的集団の情報が推論に与える影響の研究からは、集団のマーカーと分類などの情報は社会的集団に対する信念に大きく影響を持つことが明らかになった
特定の人間関係タイプは人々の行動に対して特殊かつ重要な影響を持つ
これらの影響は個人の経験からだけではなく、進化的・適応的な基盤も持っている
ブレイズらは特定の社会的状況において、セクハラへの知覚、男性の自尊心、身体的魅力度への評価、ウエスト・ヒップ比の進化などといった方面についての、推論と意思決定の性差の本質について研究している
10単位と1万単位のヘパリンの瓶が、実際にラベルの数字を読まないと区別できない見た目で過剰投与の事故が発生した 本稿は、なぜこのようなミスが起こり得るのかを説明している
私の主張は簡単に言うと、ヒトの心が数値の情報をどのように扱うかは、数万から数十万年の進化を通じてデザインされたもので、現代の状況下では私達が期待するほど常に効果的ではない
本稿の残りでは、心が数字を扱うやり方についての3つの特徴を示す
ヒトの心が最も効果的に機能するのは情報が以下のように表現された限られた場合であることがわかっている
オブジェクト全体、出来事、場所として表現されている(個別化仮説) この限られた条件の外にある数を扱う際には、理解、正確さ、記憶に問題が生じる
理解できないわけではないが難しくなる
定量的な情報は、様々な形式で表現できる
これらの形式はそれぞれ、やや異なった数学的特徴と、対応する計算目的に応じた利点や欠点を持っている
ある変換には特定の情報が必要なものの、理論的にはこれらの形式は相互に交換可能
しかしながら、心理学的有効性の点では、これらの形式は明らかに同じではない
頻度はその数の根底にあるサンプルサイズの情報を運んでいる
このことから、数値形式の中でチェスのクイーンにあたるのが頻度だと言える
頻度は他のどんな形式にもなれるが、一方で、他の形式はある方向に変換するのに必要な情報を欠いている
現実世界の情報は、頻度として存在する傾向にある
このような情報は他の形式でも表現されるし、記憶に貯蔵できるが、それらは最初は頻度から求めざるを得ず、変換は世界についての情報を捨てる過程
現実世界は頻度の情報で溢れていて、それは進化的時間スケールで見ても変わらない世界の本質であり続けてきた
したがって、進化によって獲得された、心が世界についての統計的情報に注目する能力は、頻度データを扱うようデザインされていった可能性が高いと考えられる
これが頻度仮説
頻度はヒトの心に特権的な表現形式として備わっている
頻度がヒトの心的表象として特権的な地位にあるのは、ヒトの心が進化の過程で利用してきた自然環境の中で頻繁に遭遇し、かつ情報量が多いという、頻度の特徴によるもの
Brase, 2002aでは、実験参加者にいくつかの統計的説明の明確さとわかりやすさを評価してもらったところ、頻度は単一事象が起こる確率よりも、明確でわかりやすいとみなされていることがわかった 別の筋の証拠が発達心理学からももたらされた
子どもには、頻度(つまり、自然数)に注目し使用する傾向が備わっており、小学生は、数値情報を解釈する際に、頻度としてのほうが理解しやすいようなバイアスを先天的に持っている 例えば、3分の2という分数を見て、これを「3つのうちの1つ」と解釈する子どもは、1より小さい数量として解釈する子どもよりも、分数の理解に苦労する
(訳注) Brase(2002a)では、前者は2分の1+3分の1を「2つのうちの1つ」と「3つのうちの1つ」を合わせて「5つのうちの2つ」になるから5分の2と誤答しやすい、と説明している(Brase, 2002b; Silver, 1986) 数値情報の表現形式を操作することで、そうした情報の知覚に実用的な影響を与えられることが研究によって示されている
しかしながら、頻度仮説、特に頻度は進化的意義のある特権的な表現形式であるという主張については、議論が続いている
用語の混乱や、様々な予測と様々な立場の付随関係に関する混乱は、残念ながらこの分野にはつきもの(例えば, Brase, 2002b; Girotto & Gonzales, 2001, Girotto & Gonzales, 2002; Hoffrage, Gingerrenzer, Krauss, & Martignon, 2002; Johnson-Laird, Legrenzi, Girotto, Legrenzi, & Caverni, 1999) 頻度仮説は莫大な数の研究結果に符合しているが、新しい疑問も生み出した
そのうちの一つは、数えられるのは何の頻度なのかという疑問
理論的には世界に数えられる物の種類はほとんど無限にある
こうした選択肢すべてを検討するせいで頭がパンクしていないということは、我々が普段注目し数を数えるものの種類には何らかの制約があるはず
それ以外のものに注意を払ったり数えたりすることができないと主張するわけではなく、この枠を外れるほど難しくなるということ
ヒトの心がうまく働くのは、物体や出来事や場所を総体として数えた頻度を扱う場合であり、ものの側面や様相といった恣意的に切り分けたものを扱う場合ではないと考える
30ある魚の左右の側面についてよりも、30匹の魚について推論するほうが簡単
切り身にしてしまえば、左右を数えることができる
切り身は今や離散的な物体として個別化された
人々がより困難に感じるのは、魚の側面のような部分に対して、それらがまだ大きなものの一部であるうちに注目すること
このことは、関連した認知メカニズムが、離散的で数えられる(つまり頻度)情報をインプットとみなすように設計されたことを強く示唆している
個別化仮説についても反対意見がいくつか存在する
うまくいけばさらなる研究がこの問題を解決してくれるだろう
また別の方向からの研究では、大規模な度数が意思決定に全面的な変化をもたらすという主張もなされている
突如としてフレーミング効果の影響が消え、一貫した意思決定パターンが生じた理由の一つとして、王が指摘したのは、このような小集団はヒトが進化史において繰り返し直接対処してきた数量スケールであること
この説明は参照数量仮説と呼ばれる
ヒトの心は進化史において典型的に経験してきた量(0からおよそ100まで)を離れた数値スケールを処理できるようにはデザインされていないという考え方
とても大きな数やとても小さな数は、過去において進化的に重要なスケールだったことが一度もない
もし参照数量仮説が正しければ、以下の場合に態度と行動の両方に対して全面的なゆがみが生じると予測できる
非常に低い基準率を大きな参照数量で表現した場合
例えば、世界人口の1%という基準率を実数で表現した場合、他の形式で表現するよりも影響が大きいと予測される
非常に高い基準率を大きな参照数量で表現した場合
例えば、ある変化を60億から70億になると表現した場合、他の形式での表現よりも影響力は相対的に小さいと予測される
大きな参照数量に占める比率的に小さな集団を度数として表現した場合(例えば280万、すなわちアメリカの人口の1%)、同じ情報を別の形式(1%、0.01、100分の1)で表現するよりも意思決定に与える影響が大きいことを発見した
同時に、大きな参照数量に占める比率的に大きな集団を度数として表現した場合(例えば2億7700万、すなわちアメリカの人口の99%)、同じ情報を別の形式(99%, 0.99, 100分の99)で表現したときほど意思決定に影響を及ぼさない
応用
冒頭の過剰投与の話
我々の心は、ものや、出来事や、場所の量を指す数をうまく扱うように設計されている
このことから、大きな数は物理的に大きい(もしくは時間的に長い)事象を伴うことを我々は期待してしまう
薬の瓶は単位にかかわらず同じサイズであり、この直感に反してしまう
色やラベルを変える以上に、異なる服用量の瓶は、服用量に比例して大きくするべきであることを示唆している
現実の世界をうまく生き抜くには、読み書きだけでなく数的リテラシーが必要
様々な数値の形式を理解することは、常に直感的にはいかず、数値情報の理解を容易に(または困難に)する方法があることを認識する必要がある
しかし、理論的に重要で、実用的な応用を伴う研究結果はいずれ注目を得るだろう