2. 精神疾患の診断と診断基準
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1. 診断と診断基準
1-1. 診断と診断基準
「診断する」ことは単に「病名をつける」と同じではない
診断という深くて広い作業の一つの結果として病名がつけられることになる
適切な病名をつけるという作業に限ってみても、精神疾患の診断にはいろいろと複雑な問題がある 身体疾患の場合、ヒトの身体の基本的な構造や機能は人種や地域によらず共通であり、この共通性が診断の普遍性を支えている
これに対して精神疾患では、心の働きやその表現は文化背景に伴って多彩であり、正常と以上の弁別に関してもかなりのバラツキがある
このため、精神現象とその変調をどのように診断するかについては、文化圏による違いが相当に大きかった
たとえば同じ西欧文化圏内で近代科学が勃興しはじめた後にも、同じ病態に関してイギリスとフランスとドイツでは別の診断がつくといった状況が、20世紀前半まで見られた
文化圏だけでなく、学派や個々の医師の考え方によるバラツキもまた大きかった
診断を行うためには、あらかじめ確立された診断基準が必要
1-2. 操作的診断〜DSMとICD
操作的な診断基準の登場
明確で具体的な項目によって疾患を定義し、診断の客観性を高めようとする考え方
たとえばうつ病の場合、診断基準9項目のうち5項目以上が同一の2週間内に認められれば、うつ病エピソードと診断する 操作的な診断基準は、直感や経験に頼り勝ちであった従来のやり方を改め、誰が診断しても同じ結果に到達できる、信頼性の高い診断手続きを目指すものであった
実際には、それぞれの項目がどんな状態を指しているのか、どの程度の変調をもって異常と判定するのかなど、細かい点をすり合わせなければ診断の一致率を高めることはできない
ともあれ、このような診断基準が作成され広く世界的に用いられるようになったことは、精神医学の歴史を新たな段階に推し進めるものだった
アメリカで提唱された本格的な操作的診断基準
多彩な背景を抱えた人々からなる、多民族社会であることを考えると理解しやすい
1980年に発行された第3版(DSM-III)は操作的診断基準の性格を明らかにするとともに、診断にあたって病気の原因よりも症状を重視し、多軸評定法を採用するなどの特徴を備えていた 5軸に沿った評価を行うことで受信者の状況を多角的に浮き彫りにする
第1軸: 臨床疾患
第2軸: パーソナリティ障害と知的障害
第3軸: 身体疾患
第4軸: 心理社会的あるいは環境的問題の有無(ストレスの評価)
第5軸: 心理・社会・職業的な機能の全体的評価
table: DSM-IVによる多軸評定の例
症例 A(60歳男性) B(48歳女性)
第1軸: 臨床疾患 うつ病, 単一エピソード重症, メランコリー型の特徴を伴う うつ病, 反復性, 軽症
第2軸: パーソナリティ障害と知的障害 なし 回避性パーソナリティ傾向
第3軸: 身体疾患 なし 自己免疫疾患
第4軸: 心理社会的・環境的問題 配偶者との死別 長年にわたる闘病
第5軸: 機能の全体的評定 GAF50 GAF70
いずれもうつ病であるがそれぞれの特徴が浮き彫りになっている
DSMの版
第二次世界大戦中に兵士の精神的健康を評価するため、適切な尺度が必要とされたことが背景にあったという
精神疾患だけでなくすべての疾患の診断基準を網羅するもの
第10版であるICD-10(1992)では、そのなかの第5章が「精神および行動の障害」にあてられた 2018年にはICD-11が発表され、日本語訳の作業が進んでいる DSMとICDの疾患分類に関する考え方は基本的にはよく似たものであるが、細かい違いもある
DSM
アメリカ精神医学会という学術団体が研究に使用することを想定して作成したもの
緻密で洗練されているがやや煩瑣
ICD
世界中の保険実務家が現場で使えることを目指している
使いやすいが大雑把
こうした特徴を踏まえ、わが国でも医療行政手続きや疾病統計にはICDが、精神医学や臨床心理学の研究にはDSMが、それぞれ用いられることが多い
1-3. 操作的診断基準の長所と短所
グローバル化の時代を迎え、国際的に共有できる診断基準をもつことは、精神医学の発展のためにぜひとも必要なものだった
DSMとICDという操作的な診断基準は、これまでのところそうした歴史的要請に応える役割を果たしてきたといえる
ただし、そのあり方や方向性には批判もある
DSMが日本に本格的に取り入れるようになったのはDSM-IV(1994)から
当時学会でもかなり大きな議論があり、、グローバルな診断基準の登場が歓迎される一方で、様々な指摘が諸方面から出た
診断の理論的な背景がはっきりせず網羅的である
マニュアル的な振り分けがあって深みがない
簡単には類型化できない現実の精神疾患を単純に割り切りすぎているなど
その後DSMの使用が日常化するにつれ、臨床家もこれに順応してきたが、こうした批判は潜在的には今もくすぶっている
DSMに新たな病名が加わると、その病気に使用される薬剤の市場が広がることから、「DSMと製薬産業が結託して病気を作り出している」という痛烈な批判もアメリカではよく聞かれる
病気の中には、長年存在してきたのに病気とは認められず、公式な診断名を与えられてはじめて社会に認知されるものがある
DSMなどの診断基準は、こうした病気の認知度を高めることに貢献している
しかし、ごく軽い変調や正常との区別が微妙な事態については、ことさら疾患として記載することによって、社会の過剰な反応や警戒感を呼び起こす副作用があることは否めない
診断基準の改訂にあたって精神医学研究の新たな進歩を取り入れるのは当然であるが、DSMはアメリカの学会動向を反映して極端な変更を行う事が多い
DSMは今では世界的な影響力を持っており、わが国でもその日本語訳に則った診断が広く行われているだけに、改訂のたびに用語や概念が変更されることによる混乱は小さくない
DSM-III以来の多軸診断方式は、前述の通り個々のケースを多角的にみたてようとするもので、「複雑な現実を単純化しすぎている」という批判に対する対策を示すものと評価されたが、DSM-5では多軸診断についての記載が削除された この種の「改悪」が一部からは批判されている
また、DSMとICDの間にところどころ不一致があることにも注意を要する
2. 精神疾患の原因について
2-1. 精神疾患の原因論
病気の原因についてどこまでわかっているかは病気による違いが大きい
結核は結核菌という病原体に感染によって起きることがわかっており、結核菌という原因の存在を証明することによって診断が確定する 糖尿病はインスリンというホルモンの不足による慢性的な高血糖と、糖代謝異常による各種の症状によって定義される病気であるが、その原因については未知のことが多い 現在はインスリン不足が生じるメカニズムによって1型と2型に分けている程度であるが、いずれ研究が進めば原因を踏まえたより精緻な分類が提唱されるのかもしれない
精神疾患の原因については、解明されていない場合が非常に多い
DSM分類の基本方針として、原因よりも症状を重視することにしたのもこのためであり、未知のことや異論の多い現状において原因に関する議論が起きると収拾がつかなくなることを警戒した
とはいえ、精神疾患の原因についてあらましを知っておくことは重要
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先天的要因としては遺伝が最も重要であるが、ほかにも染色体異常や在胎中の母親の病気など様々なものがある 後天的な要因はさらに多彩であり、出生後の療育環境や成長期の家庭・学校での体験、成人後のライフイベント・ストレスややトラウマ体験などありとあらゆる要素が含まれる
かつて日本人は精神疾患と言えば「血筋」すなわち遺伝や血統を連想する傾向が強かったが、最近はストレスやトラウマを重視する傾向が強まっている
この病気は主に中年期に発症して大脳深部の細胞の脱落が進行していくもので、舞踏症などと呼ばれる独自の不随意運動とともに多彩な精神症状を呈する難病 PTSDは戦争体験や大災害への被災など命に関わる外傷的な体験(トラウマ体験)への反応として発症するものであるから、後天的要因の影響がきわめて大きい ただ、同様のトラウマ体験に遭遇しながらPTSDを起こさない人もあり、そうしたストレス耐性に関してはもって生まれた先天的な資質も影響している可能性がある(→8. ストレスとストレス関連障害) 図の両端に位置する病気も存在するものの、大多数の疾患は図の中央部に散らばっていることに注目したい
これらの疾患は、先天的な要因と後天的な要因がこもごも作用して発症に至ると考えられている
家族内の発病に関する情報を収集し、双生児研究その他の手法によって詳しい分析を行うことによって、原因不明の疾患に関しても遺伝要因の寄与の程度を推測することができる そうした研究の結果、たとえば統合失調症の発症については先天的要因と後天的要因のいずれも関与することがわかってきている(→4. 統合失調症) 糖尿病や高血圧の発症に、先天的な体質が関わっていることは、誰でも経験的に知っている
後天的要因の負荷の低減に努めるのが予防戦略
精神疾患はこのような特異的な有害因子が見つかっておらず、予防の焦点を絞ることができないところに限界がある
2-2. 伝統的分類〜外因・内因・心因
江戸時代にはオランダから伝えられる蘭方を通してヨーロッパ医学に触れていたが、明治に入ってからは当時最先端と考えられたドイツの医学を熱心に取り入れた
この事情は精神医学においても同様であり、1980年代にDSMが入ってくるまでの診断体系は概ねドイツ医学に倣ったもの
原因: 物理化学的・身体的原因
物質や薬物、怪我や身体疾患、さらには脳の病気も含む
ここでいう外部とは、精神活動を1つのまとまりと考えた時に、その外側にあるという意味合い
脳腫瘍のために脳が圧迫されて精神活動が妨げられるといった場合、腫瘍の実体は自分の身体の内部に存在しているが、精神活動を遂行する上では外から邪魔をするもの
精神医学的な治療の対象となるのは、あくまで腫瘍の影響のもとに生じた精神活動の不調
心因
原因: 心理的原因
各種の心理的葛藤や心理社会的ストレスから生じる疾患
内因
原因: 未解明の脳の機能変調
統合失調症を念頭において考えるのがよい
統合失調症は精神医学における最大のテーマのひとつであり、その原因について様々な議論があった
今日でも未知の部分が多いものの、外因や心因ではこの病気を説明できないことが、研究が進むにつれてはっきりしてきた
そこでクレペリンらは、この病気が当時は未解明の脳機能の異常と考え、これを内因として括った
いずれ「脳の機能異常」の正体が明らかになったときには、内因と外因の区別は意味を失うかもしれない
また、当事者闘病の構えとしても、内因性疾患を外因に準じて扱うことがヒントになるかもしれない
その他
原因: 知能の発達やパーソナリティの障害
外因・心因・内因に属する精神疾患が、健康な発達を遂げた後に罹患するものであるのに対して、その他に属するものは発達のプロセスやその結果に何らかの不具合があることを想定している
なお、DSMの多軸診断における第2軸の内容はちょうどこの「その他」に相当するもの
含まれる疾患の例: 精神遅滞, 発達障害, パーソナリティ障害
精神疾患の原因に着目したこのような伝統的分類は、DSMやICDによる診断が主流となって以来あまり用いられなくなっている
しかし、症状に重きを置いた操作的診断基準の弱点を補完する意味で、現在でも参考になるもの
たとえば、DSMでうつ病と診断されたケースは、外因・心因・内因のいずれに属するか
「いずれもありうる」が正解
クレペリンが確立したもともとの分類体系においては、うつ病は内因性疾患とされていた
一方では血管性うつ病など外因性と考えられるうつ病もあり、なかにはパーソナリティの偏りに強く影響されてうつ病を繰り返す例もある DSMはこうした背景の違いを考慮せず、症状が揃えば「うつ病」と診断するから、病名を見ただけでは事情がわからない
個々の患者の事情に応じた適切な援助を計画するためにも、その患者の「うつ病」が上記のいずれに属するものなのかを検討することには意義がある
なお、DSMは症状に基づいて診断するのが大原則であるが、なかには疾患の性質上、診断基準の中に原因が含まれることもある
PTSDが「トラウマ体験」の存在を診断の要件にするのはその一例 3. 診断をめぐるさまざまな問題
3-1. 「疾患」と「障害」
DSMやICDのこれまでの版を見ると「精神疾患」と「精神障害」という2つの言葉がしばしば混在している 「けがや病気のために身体に不可逆の欠損を生じ、それが固定した状態」
その後、内臓の病気による機能障害なども含まれるようになり、障害に数えられる病態が増加するとともに、必ずしも不可逆ではない病態が障害に含まれるようになった
2006年に国連で障害者権利条約が採択されたのを受け、2011年には障害者基本法が改正されたが、そこでは「障害者」を定義して「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」 障害者概念にはこのように歴史的な変遷があったが、さらに事情を複雑にしたのは翻訳の問題
disorderは「不調」「変調」あるいは「不具合」といった意味合いであり、diseaseやillnessに比べて重症感が少ない
DSMがdisorderという言葉を採用したのはこのためであり、精神疾患に対する過剰な警戒心を和らげる意味があったものと思われる
ところが、DSM-IVを日本語に訳すにあたり、disorderの訳語に当てられたのが「障害」 disorderを障害と約したため、原語では軽減されたはずの重症感が逆に増強された形になってしまった
その点を考慮したのであろう、新しいDSM-5の翻訳にあたっては、たとえばanxiety disorderの訳として「不安障害」と「不安症」を併記し、「障害」を「症」に置き換える工夫がなされている DSMそのものの邦題も「精神障害」の語を避けている
3-2. あらためて診断とは何か、何のために必要か?
診断は、何よりもまず有効な治療を行うために必要とされる
個別のケースに認められる症状や変調を、既知の疾患と関連付けることができる
そうすれば疾患について蓄積されてきた情報を活用して、合理的な治療法を選択し闘病生活の指針を得ることができる
診断をつけ治療方針を決定することは、かつてはもっぱら医師の責任において行われ、患者はその結果に従うのが当然と考えられた
「十分な情報を伝えられたうえでの同意」
患者の自己決定権を尊重するやり方が医療一般の標準となっている
「十分な情報を伝える」ことのなかには、当然ながら診断の告知ということが含まれる
わが国では20世紀末まで、がんの診断を本人に伝えないことが通例だった
しかしその後、事情が急速に変化し、現在ではがんを含む身体疾患に関する限り、ありのままに診断を伝えることが医療現場の大原則として定着している
精神疾患に関しては難しい事情もあり、疾患による違いもあった
たとえばうつ病の場合、「病気ではなく自分の怠け」と考えて自責的になりがちの患者を説得する意味もあり、伝えることが以前から推奨されていた(→5. うつ病と双極性障害) 一方、統合失調症の場合は病識欠如を伴う事が多いため、本人が診断を理解して受け入れることは概して難しい
まして以前は「精神分裂病」という恐怖心を煽る病名でもあったため、本人に対する病名告知には大きな困難があった 2002年になって統合失調症に変更
時期を同じくしてこの病気に軽症化の傾向が見られるようになり、告知しやすい条件が整ってきた
統合失調症の患者に関する最近の調査において、約80%の患者に対して告知が行われ、約70%の患者が病名を正しく認識していたとする報告もある(賀古, 2014) いずれにせよ、病名の告知は情報を共有する作業のごく一部分にすぎない
本当に大事なのは、治療という作業そのものが、患者と医師らとの信頼関係に基づく共同作業として行われているかどうかということ
SDMは患者の自己決定権を尊重するというモラル上の要請から出発したものであるが、生活上のさまざまな事情を抱えながら長期にわたる養生が必要とされる精神疾患の場合、このような形で患者自身の意図を反映する治療関係こそ、良好な結果を生むものと考えられる
SDMの考え方に立てば、診断は一方的に告知するものではなく、双方向的なやりとりのなかで共有すべきもの
そのように用いれば、診断は患者と医師らの共通の課題を象徴するものとして役立つだろう
一方、パターナリスティックな関係のなかで診断を一方的に告知するならば、いたずらに不安を煽って患者を苦しめることにもなりかねない