1. ヒトと感染症の歴史
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1. 感染症の定義
Oxford "an illness that is caused by bacteria or a virus and that affects one part of the body"
感染「病原体が体中に侵入すること。また、病気がうつること」 特に重症で、死亡率の高いものを意味する
e.g. 疫痢は小児にみられる細菌性赤痢の重症型で、特に患者は短期間に死亡する 2. 感染症成立の3大要因
感染症成立の3大要因
感染症の予防には3大要因のいずれかを防げば良い
したがって3大要因は重要
あることを防ぐにはその相手をよく知ることが必要
感染症成立の3大要因に関して予防策
3) 宿主の感受性のある人をなくす(あるいは病気にならないようにする) 2-1. 病原体と宿主
2-1-a. 病原体
生体に定着して生活を営み、その生体に感染や感染症を引き起こす微生物等 病原体の大きさも種類も様々
細胞内でしか生きられないか、自分自身だけで増殖できるか等で分類される https://gyazo.com/f2d5b75b7ec672cd274bf776775fac23
2-1-b. 宿主
2-1-c. 感染と発症
病原体が宿主の体内に入ったとしても、必ず病気になるわけではない
病原体が宿主の体内に侵入して、発育または増殖すること
病原体が宿主の体内に侵入するのではなく、身体の外表面や衣服、寝具、玩具、外科器具、包帯、水・食物、その他の無生物的な器物や物質の内外に付着していること
感染して発症したヒト
感染はしたが、症状がなくて特定の病原体を持つ感染容疑患者・接触者
2-2. 感染経路
2-2-a. 直接伝播
直接伝播: 病原体がヒトや動物に感染を起こすための侵入門戸に、直接かつ即座に運ばれること なお、分娩(出産)時に産道で新生児が母体の血液で感染することは胎盤感染とは異なり、直接接触である 2-2-b. 間接伝播
病原体が侵入門戸から感受性のある宿主に運ばれるルート
玩具・ハンカチ・汚れた衣服・寝具・調理器具・食器・医療器具・注射針・包帯等の汚染された器物(無生物的)
2-2-c. 感染経路の分類
感染経路として以下の3つが挙げられる
水(飲料水)を介した媒介物感染
水系感染の特徴は、発生が爆発的で、飲料水使用区域に一致し、男女・年齢を問わず感染者がみられる
感染している宿主から排出された飛沫の水分が蒸発して生じた微小残留物(直系5 μm以上)を吸入して感染する場合 飛沫核は細菌検査室や屠畜場、死体解剖室、空調機で偶然にできることもあり、通常は長期間にわたって空気中に浮遊する 2-3. 宿主の感受性
病原体が宿主の体内に侵入しても、すべての個体に感染を起こすとは限らない
宿主の体内でその病原体が増殖せずに除かれてしまえば発症しない
ただし、病原体が産生した毒素が悪影響を及ぼす場合がある 疫・疫病、つまり感染症、伝染病を免れること
宿主側の持っている特定の感染症に関係する微生物またはその毒素に対して、特異的な作用を示す抗体または細胞を保有することによる抵抗力を指す 宿主の感受性、発病・発症を左右するもの
2-3-a. 受動免疫
受動免疫: すでに免疫を有している個体の免疫抗体を血清等によって他の個体に与えること 胎児が母の胎盤、あるいは生後母乳(特に初乳)を介して自然に母の免疫抗体を受ける 2-3-b. 能動免疫
能動免疫: 宿主自身の体内で病原体に対する免疫を獲得すること 個体が臨床的発病の有無にかかわらず、自然に感染した際に獲得すること
人工的に、①病原体の分画、②有毒産物、③病原体そのものを死滅、減弱、変異した形で注射することによって成立すること
生きた病原体ではなく死滅させた病原体(病原体の一部・破片)
2-4. 環境条件や宿主条件による影響
感染の3大要因は環境条件や宿主条件によって影響される
2-4-a. 環境条件
物理的環境
気象・季節・地理・地質等
生物学的環境
社会的環境
集団の種類・人口移動・職業・労働・経済・住居・風俗・習慣・分化・文明・社会的災害
2-4-b. 宿主条件
性・年齢・種族等の主体的特性や栄養、生理といった身体的状態
3. 人類の歴史と感染症の関わり
人類の歴史において、感染症は大きな影響を与えている
『Disease 人類を襲った30の病魔』という本で示されている30の病気のうち、27が感染症
3-1. ペスト
人類史上で最も死者が多かった疫病の一つと言われる
齧歯類(ネズミ等)がペスト菌を保有しており、ネズミは発症しないが、ノミを媒介としてヒトに移り、大流行を来す ネズミに付くノミがヒトを吸血した際に、このノミからヒトの体内にペスト菌が入ることによりヒトに感染する
また感染したヒトが肺炎になった場合には、その痰に多量のペスト菌が含まれるため、咳により飛沫感染する ペストの世界的な流行の記録
エジプトからヨーロッパに広がっていった
イスタンブール(当時のコンスタンティノープル)では、1日に1万人が死亡したという
この当時、地域によっては人口の4分の1が死亡した
1348年(資料によっては1346年)のヨーロッパで大流行したもの
ヨーロッパだけで1353年までの数年間で、少なくとも2,500万人が死亡したと推計されている
当時の人口の3分の1以上
この時の大流行は、人類史上で最も死者が多かった疫病の一つと言われている
ペストから避難するために屋敷に閉じこもったフィレンツェの男女10名が、10日間それぞれ一つずつ話をする物語
1666~1666年に、イギリスのロンドンで流行
当時のロンドン市の人口の20~25%にあたる7~10万人が死亡した
1722年に、ロンドンでのペスト大流行の記事を書いている
1720~1722年に、フランスのマルセイユで大流行している
約5万人が死亡
マルセイユの大流行が西ヨーロッパにおいてはペストの最後の大流行となり、その後、西ヨーロッパでは終息していく
19世紀の半ばに中国で始まり、東南アジアの各地に広がった
また、台湾で研究していた緒方正規は1898年に、感染したネズミのノミがヒトを咬むことでネズミからヒトに感染することを明らかにした この当時、日本の科学者がペストの原因究明と感染予防に活躍している
3-2. コレラ
世界的流行を起こす感染症の一つ
コレラの大流行は1817年から1899年まで6回の世界規模の大流行があった
インドのガンジス川の流域ベンガル地方から始まり、世界中で数百万人の死者を出した
第1回の流行
1817年から始まり、アジアに拡がり、1823年に終息
第2回の大流行
1826年頃から始まり、アジアを越えて北アフリカ、ヨーロッパに広がった
1831年にはイギリスでも大流行して、産業革命により都市労働者の多いロンドンでは、労働者階級を中心に5,000人以上が亡くなった 第3回の流行
1843年から始まり、1849年にはイギリスに及び、同国では5万人の死者が出た
この大流行の際に、ジョン・スノウという医師(麻酔科医)が、ロンドン市の患者発生地域と当時のロンドン市の上水を提供していた井戸の調査を行い、1854年に汚染されていると疑われた井戸(給水ポンプ)の使用を止めることにより患者の発生を抑えた これは、コッホによるコレラ菌の発見の実に30年前であり、このことは「疫学」の原点になっていて、近代疫学の発祥とされている ジョン・スノウは、コレラの死者が発生した家の場所と井戸(給水ポンプ)を地図上に示した
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現在、この井戸(給水ポンプ)のあった場所には、スノウ医師の発見を記念するため、ジョン・スノウ・パブがある
3-2-a. 日本におけるコレラの流行
当時は鎖国していたので、日本国内での大流行はなかったが、外国船の来航が盛んになり幕藩体制が崩れるにつれ、関所の機能が低下し、国内での人の往来が増え、幕末から明治にかけて流行した 日本の江戸時代、最初に日本に大流行が記録されているのは1822年であり、大阪等で流行した
以後、1858年、1862年に流行が記録されている
1858(安政5)年には鎖国が解かれており、外国人の往来が増加した
江戸で数万人亡くなったとの記録もあるが、定かではない
下痢による脱水症状で死に至るが、塩(と砂糖)を含んだ水分を経口摂取することで脱水症状を治療することができ、これにより死亡する患者が激減した 3-3. インフルエンザ
咽頭痛、咳、痰、鼻汁等の上気道炎の症状に加え、悪寒、頭痛や、筋肉痛、関節痛を伴う発熱があり、時には39℃台に達することもある 多くは数日の経過で、自然に回復・軽快する
迅速診断キットが普及しており、診療所等医療機関のが依頼で、15分程度で検査結果を出すことができる
簡便で迅速な診断キットが利用できるため、冬期のシーズンだけでなく、4月・5月から夏季等にも陽性者がいることがわかってきた
インフルエンザウイルスの遺伝子の変異により、表面の抗原が異なる新型のウイルスが出現する この場合、ほとんどの人が、この新型インフルエンザウイルスに対する免疫を持っていないため、世界的な大流行(パンデミック)が生じる インフルエンザの流行の中で最大のものは、1918~1919年に世界的に大流行し、5000万人が死亡したとされるスペイン風邪 日本でも約39万人が死亡したとの報告がある
疾病の1回の流行による死者数として、人類史上最大のもの
この時の感染者数は6億人、死者は4,000万~5,000万人にのぼる
当時の人口は20億~30億人と言われる
実に世界中の人間の4~5人に1人が感染者となり、感染者の12~15人に1人が亡くなったことになる
スペイン風邪以外の大流行として、それ以前にもインフルエンザの大流行と思われる記録があるが、診断が確定しておらず、推測の域を出ていない
いずれも患者数は多いが、死亡者は多くない
3-3-a. 新型インフルエンザ
1997年に香港の食肉市場の周辺で18人が罹患し、6名が死亡した
この本来、鳥類が持っているインフルエンザ(H5N1)は、2003年11月以降、タイ、ベトナム、インドネシア等の東南アジア中心であったものから、欧州、アフリカに拡がり、2016年4月3日の時点で患者数850名、死者が449人となっている これにより、2014年11月には感染症法が改正され、トリインフルエンザは2類感染症に位置づけられた 2009年3月にメキシコを発端に新型インフルエンザが流行したが、これは恐れられていたトリインフルエンザではなく、ブタ由来のブタインフルエンザ(A/H1N1型ウイルス)であった このウイルスは、ヒトからヒトへの感染を示した
感染力は強く、日本では2,000万人以上が感染したと考えられる
不顕性感染も含めると、日本国民の4分の1から3分の1が感染したのではないかとも推察されている 幸いに病原性は低く、死亡者は数十万人に1名程度と言われている
2010~2011年にかけての冬季には、このブタインフルエンザによる感染は、従来型の季節性インフルエンザと同様の流行様式に変わり、同時にA香港型やB型のインフルエンザウイルスも検出された 2011年3月31日に「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」に基づき、2009年に発生した新型インフルエンザ(A/H1N1)は「新型インフルエンザ等感染症」から「通常の季節性インフルエンザ」へ移行した 3-4. 結核
3-4-a. 古代
全身に感染する可能性がある
結核は最も多くの人間を死に至らしめた病気であった時代もある
19世紀初期には、全世界の死因の約2割を占めていた
また、人間の病気の中でも最も古いものの一つ
ドイツのハイデルベルグで発掘された約9,000年前の人骨の第4, 第5胸椎に結核カリエスの痕が認められるという エジプト先王朝時代(紀元前6,500~5,100年)のアダマイ遺跡で発掘された女性に脊椎カリエスが発見されているので「結核は人類とともに古くからあった」と言われる また、同じエジプトでは、紀元前1,000年頃の古代エジプト王朝時代の神官にも、結核性脊椎炎の例が記録されている 中国でも、紀元前193~186年頃の湖南省長沙市の馬王推古墳に埋葬されていた被葬者に肺結核の罹患の痕跡とみられる石灰化病巣が認められた 野生の動物を家畜化することと、結核が人類の集団において蔓延することは関係が深く、特に家畜化したウシと結核菌を共有してきた 日本では、およそ1800年前の鳥取県の青谷上寺地遺跡の人骨に発見された結核性変化が最も古い結核の痕跡なので、結核菌はその頃、大陸からの渡来人によってもたらされたと考えられている 3-4-b. 産業革命期の大流行
18世紀のイギリスで起きた産業革命により、都市に人口が集中し、労働者は劣悪な環境で長時間の労働を強いられ、死亡率が増加した さらに当時の産業革命の中心地のロンドンは石炭を使用していることによる粉塵が多く、呼吸器系の疾患が多かった 結核も万円した
産業革命により都市に人が集中し、当時のイギリスの労働者階級は貧困・不潔・疾病の悪循環に陥っており、労働者階級の健康問題は労働者個人の責任ではなく、政府の責任によるものとされ、衛生改革の重要性が訴えられた
3-4-c. 日本における結核の状況
第2次世界対戦前
江戸時代まで結核(肺結核)は「労咳」と言われていた 明治以後
我が国の結核の蔓延は、明治期以降の近代化・工業化とともに始まった
閉鎖された空間で糸くず等ほこりが多い劣悪な環境での長時間労働を強いられ、栄養状態も良くなった
呼吸器疾患が多く、また集団生活をしていたこともあり、結核が蔓延した
結核が蔓延した理由である低栄養、長時間労働、糸くずが舞う劣悪な労働環境等、当時の女工の過酷な状況が描写されている
副題は「ある製糸工女哀史」であり、明治30年代後半時代の諏訪の製糸工場を舞台に、若い女工たちの過酷な状況を描いたもので、そこでも結核が描かれている
第2次世界大戦後
敗戦による貧困により結核が蔓延し、結核は「国民病」と呼ばれるようになった 1950年代は1年間に約60万人の結核患者が発生し、結核罹患率は人口10万人対700
結核患者が最も多かったのは昭和26年頃であり、人口比で見れば、現在の1000倍の患者数が射た
有効な薬はなく、病気になればひたすら安静の日々を何年も過ごさねばならず、59万人を超える登録患者は病んで絶望的な日々を送っていた
健康な若者もいつ結核になるかわからなかった
終戦直後の公衆衛生行政の柱の一つであった
わが国における現在の結核の課題ー高齢者・医学的リスクを持つ人の発症・偏在ー
国民病である結核への国をあげての対策が成果を上げ、2007年の結核の罹患率は20を切った
しかし、欧米の先進国の罹患率と比較すると2~4倍程度あり、毎年2万4000人以上もの患者が発生しており、日本は依然として結核中蔓延国 罹患率が人口10万人対10以下である結核低蔓延国になるには、さらに10年以上かかると推定されている 従来は小児・生徒・学生の集団感染が多かったが、最近は事業所等での年長者の集団発生が増えている
新たに結核患者として登録された人の半数近く(48.9%, 2008)を70歳以上の高齢者が占めるようになった
これは、第2次世界対戦の戦前戦後の結核蔓延時代に感染を受けたこの世代が高齢者になり、様々な理由で発症しているからと考えられる
この世代に発生患者が偏在し、国全体の罹患率の高さに影響している
また、高齢結核患者の半数は呼吸器症状を訴えない場合が多いことから、発見が遅れ、診断された時には既に重症という例も少なくない
結核患者の高齢化によって、患者発生は医学的リスクを持った人々に集中している
特に若い世代を中心とする看護師や職員も感染することがある
さらに結核に罹患しやすい層として、社会経済的弱者への偏在が挙げられる
住所不定者(ホームレス)や生活困窮者、健康管理の機会に恵まれない小規模事業所の従業員、結核高蔓延国からの移民・外国人労働者等、特に大都市に住むこのような人々に発生が集中している ゲームセンター等、遊技場等、不特定多数の人が出入りする施設での発生の報告も多い
高齢者や基礎疾患を持つ人々の結核の増加、発見の遅れは、結核患者の予後を不良にしており、登録された患者が1年以内に結核で死亡する割合は、この15年間に約2%から約5%へと上昇している 2014年に新たに登録された結核患者数は1万9,615人で、罹患率は15.4であり、罹患率が10以下である低蔓延国と比較して、罹患率は数倍高く、依然として中蔓延国に留まっている
新発生患者の半数以上は65歳以上
その多く初発患者ではなく、以前の感染から発症したもの
一方で、2600人以上の患者は39歳以下
若い層でも都市部を中心に新しい感染と発病が起こっている
なぜ日本はまだ結核中蔓延国にとどまっているのか
青年期までに感染歴のある高齢者が多いことが一つの理由
高齢者は発症しても症状が顕著ではなく、周囲に(本人も)気付かれることなく日常生活を過ごすことにより、感染が広がっていく
この場合、接触者として医療機関の職員等の若年者に初感染を起こさせる場合もある
更に経済的生活困窮者等、社会的弱者、高蔓延国から入国する外国人は受診が遅くなり、受診時には重症化しており、また周囲に感染者が見られる場合もある
医療者や社会的な関心が低いなど、結核を疑わないまま、かぜ等の診断で咳、痰の呼吸器症状を発症している患者を経過観察している場合、患者側も受診する医師、医療機関を短い期間で次々と変えていくという受診行動により、中期的な経過を追える医師がいない状態になり、全体の経緯が分からないまま日数を経過して重症する場合もある
ただしわが国では、多剤耐性結核、HIV患者における結核の合併、小児の結核が比較的少ないことは優れている点 3-5. 産褥熱
妊婦が出産後に死ぬ原因として多いもの
以前は、出産・分娩は母体にとって危険なものであった 現在でも衛生状態の良くない国や地域では、出産は母体にとって大きな脅威
全世界では毎年50万人の妊産婦が死に、その99%は途上国であり、その25%は感染症が原因であると言われている
また、皮肉なことに医学が進歩し、産院が整備された18世紀のヨーロッパにおいて、科学的な医療が普及しようとした時期に、産褥熱が流行した
当時のヨーロッパの大学院の医師や医学生は研究熱心であったが、病院の死体解剖室で解剖した後に分娩室に来て、妊婦に接したが、残念ながら手を洗うこともなく、衣服を着替えずに分娩に立ち会ったため、出産・分娩している母体に死者の持っていた病原体を運ぶ結果となってしまった
産褥熱が感染症であることを発見したと言われているイグナッツ・ゼンメルヴァイスは、1847年にすべての出産に立ち会う医師・医学生に、分娩室に入る前に手を消毒することを命令して、産褥熱による死亡率を減少させた しかし、当時は評価されなかった
現在は、手洗いやガウンテクニック等の清潔操作、消毒薬、分娩室の清潔を保つ、抗生物質、多くの産褥熱の原因と言われる細菌(溶血性連鎖球菌)の同定等により、先進国では大きな問題にはならず、死亡率は激減したが、世界全体で見れば、途上国の母親は出産・分娩の際に、現在でも産褥熱の危険に曝されている 4. まとめ
感染症は人類の歴史において大きな影響を与えて、常に脅威であった
時には、社会や国の存在を脅かすほどの影響があった
また多くの文学へも影響を与えて、文化的にも影響があり、感染症への対策が衛生学、公衆衛生学、疫学の発展を生んだと言える