第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
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相反する野口英世像
ロックフェラー大学における野口英世の評価は日本のそれとはかなり異なる
梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病の研究成果は当時こそ称賛を受けたが、多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものだった
彼はむしろヘビィ・ドリンカーとプレイボーイとして評判だった
イザベル・R・プレセットによる"Noguchi and His Patrons"
彼の業績で今日意味のあるものはほとんどない
当時そのことが誰にも気づかれなかったのはひとえにサイモン・フレクスナーという大御所の存在による
彼が権威あるパトロンとして野口の背後に存在したいことが、追試や批判を封じていたのだと結論している
野口像を破天荒な生身の姿として描きなおした評伝に『遠き落日』
野口は結婚詐欺まがいの行為を繰り返し、許嫁や彼の支援者を裏切り続けた、ある意味で生活破綻者としてそのダイナミズムが活写されている
このような再評価は日本では勢いを持つことなく、いまだにステレオタイプな偉人伝が半ば神話化されている
見ようとして見えなかったもの
唯一、もし公平のために言うことがあるとすれば、野口は見えようのないものを見ていたのだということ
狂犬病や黄熱病の病原体は当時まだその存在が知られていなかったウイルスによるもの
感染症には必ずその原因となる病原体が存在している
あなたが研究者だとする
この厳封された試験管の中に、ある病気にかかった患者から採取された体液がある
あなたはまず、十分な防護措置をとらねばならない
病原体は非常に小さい
人間が肉眼で捉えることのできる最小粒子の大きさはおよそ直系0.2ミリメートル
大抵の人は1ミリメートルより小さものを明確には識別できない
病原微生物、いわゆる黴菌は、普通球状をしていてその直径は1マクロメートル程度
光学顕微鏡の原型は早くも1800年代に開発され、1900年代初頭、野口の時代にはもちろんかなり高性能のものが存在していた
接眼レンズを除くと、顕微鏡の視野全体に微細な米粒のようなものが細かく律動しながら一斉にうごめいている
こいつこそこの奇病の病原体に違いない!!!
病原体特定のステップ
偉大なる発見は、ロジックの慎重さが要求されるプロセスでもある
あなたはもう一つの試験管を手に取る
これは健康な人から採取された体液
他の条件もできるだけ揃えてある
交差汚染を防止する
対照サンプルを検査する
ここでも同じようなものがうごめいていたら、病気の人にも健康な人にもあまねく存在することになる
仮に、健康由来の対照サンプルはどれだけ調べても非常にクリーンだとしたら、ここではじめて、病態と健康との間に「差異」が認められることになる
ただし、物事には"もっと"例数が必要になる
病人の体液には"必ず"存在しているが、健康な人の体液には存在しないことを示す必要がある
もしこの病気が非常にめずらしいものであれば、例数は十例もあれば最初の報告としては認められるだろう
患者が爆発的に広がっているようなパンデミックならばもっと症例がいる
"必ず"存在が証明されるべき、と書いたが、病気の特徴的な症状を示しているにもかかわらず、体液サンプル中に見いだせないケースがあったとしたら、あなたは密かにこのデータを"なかったこと"にする誘惑に駆られてしまうかもしれない
これは端的に言って虚偽
まっとうな研究者であろうとする自己規範を持つならば、このケースを除外してはならない
研究データには必ずや例外や偏差が含まれる
それは単なるミスや錯誤であることも多いが、本来、もっと別の生物学的意味を持つ現象かもしれないから
それは後になってそうわかることもある
特別な部位に潜む時期があることが判明するとか、非常に類似の症状を示す別の病気の存在が見つかるなど
この逆のケースもある
健康な人の体液中にも微生物が見つかるなど
これはいささか解釈が厄介だが、観察事実は観察事実措定受け止めねばならない
微生物が存在していても発症が防がれる状況があるかもしれないから
このような手続きをふまえたうえで、おおよそ十中八九、患者の体液からこの微生物の存在が確認できれば、多くの研究者は病原体特定への第二ステップをクリアしたことを認めるだろう
場合によっては、もっと低い頻度、たとえば調べた患者のうち半数にその微生物の検出があれば関連を認めてもよいと考える場合もある
病原微生物の動静はダイナミックであり、体液中に検出にあたる一定量以上の存在が常にあるとは限らないから
しかし、実は、もっと大きな陥穽が待ち受けている
→第2章 アンサング・ヒーロー