ニコ動の宗教化マーケティング
さて、気を取り直して、昨日の続き。どうやってニコ動の宗教化マーケティングをしたか。超長文。マーケッター必読だ。(途中で放棄。未完です) どうやってニコ動の宗教化マーケティングをしたか。別に特に何もしていない。基本的なことをやっただけだ。 基本は大事だ。新規事業の基本は競争相手のいない事業を行うことだが、競争相手がいないと何しろ競争相手がいないので基本だけやれば十分だ。何が基本なのかは事業それぞれによって変わるが、何しろ基本的な戦術というのはちょっと考えれば分かる。 なぜなら基本だから。
基本基本でゲシュタルト崩壊したところで、宗教化マーケティングで、僕が何を基本だと考えたかを書く。
もちろん、それはニコニコが復活できるかというゲームだ。何を注目させるか、わかりやすいのはユーザー数がどれくらいまで復活したのかと黒字化できるのかというところにユーザーの興味が向くようしかけた。運営ブログで定期的に重要そうにお知らせする情報として、ユーザーのアクセスがYoutube切断前の何%まで戻ったかを定期的にアップした。そして回線の増設と新しい会員を何万人参加させたかを報告した。どんどん復活していくニコ動をユーザーに印象付けた。そして黒字化のための無駄な努力をやっている様子を定期的にアップした。こんなんじゃ無理だろと心配になるような施策を誇らしげに報告し続けた。
これめちゃくちゃ感じてたなmtane0412.icon
定期的にサーバーチューニングを実施!みたいな感じのがかなり流れていた
今だとちょうどいい最悪の例はWikipediaだろう。ユーザーにお金をくれなんてお願いは絶対にしてはいけない。 ユーザーが自主的に自分の意思として応援しなければいけないという空気を作る必要がある。そのためには助けを求めず、あぶなかっしくも一生懸命に努力する運営の姿を見せなければいけない。
というわけで運営ブログによる情報発信の中心はニコ動が順調に復活するところと黒字化への努力となる。
ニコ動のアクセスが切断前の何%に戻った、会員数が何万人に達したという報告は毎回ネットメディアがニュースにした。
さて、ニコ動が一生懸命頑張って、それを応援するユーザーが自分だけでなく大勢存在するという姿をもっと可視化させたい。人間とは冷たいもので、困っている人を誰も助けないところを見ると、自分が助けなきゃとはならず、自分も助けなくても良さそう、となる人が大半だ。
人間は群れを作る生き物なのだ。
と言うわけで行列を作ると言うのは客を集める単純だが有効な作戦になる。 今、会員登録するとXヶ月後にアクセスできます。と言う前代未聞のニコ動入会キャンペーンはこうして始まった。
ニコニコ動画復活の第1弾の会員募集の確か10万人?は、僕とエンジニアの打ち合わせで決めた。
ニコ動を1週間で復活させた突貫工事の開発指揮をしたのは当時のドワンゴCTOの千野くんだ。ちなみに彼は教育事業本部のCTOをやっており、現在のKADOKAWAのサイバー攻撃でN高がいち早く復旧したのは彼のおかげだ。
ニコ動が1週間で用意できる限界の回線容量は、いろいろかき集めた10GBit。実効レートを測定しながら、何万人登録して実際に何パーセントが使って、ピークタイムの同接人数は何人ぐらいか?これなら耐えれるだろうというギリギリの数字だった。
最初の枠の募集はあっという間に埋まり、追加の会員募集を求めるユーザーの声が殺到した。
どこまで増やすか、一つはエンジニアがテストをしながらサーバーを増設する物理的な限界。
もう一つは回線を増やせば増やすほど赤字額が膨らむだけというビジネス的な限界。
勝負したいけど、勝負すればするほど、赤字が膨らみ、会社が持たなくなるというジレンマ。
どういう速度でユーザーを増やしていけばいいか?
結局、僕が選んだのは行列の長さが、段々と増えていく速度でサーバーを増設することだ。
会員制の動画サイトなんて誰が見るんだよと、つか、登録してもすぐに見れないなんてなんだよ、ニコニコ動画も終わった、と復活したニコニコ動画を笑っていた大半のネットユーザーが、段々と入会待ち行列の長さが増えていくことで顔色が変わっていった。行列の長さが入会希望者の伸びをさらに加速し、行列はどんどん長くなっていった。1ヶ月後にはサイトを見れますから、2ヶ月、3ヶ月と増えていき、あっという間に入会しても10ヶ月待たないとニコニコ動画は見れないという状態になった。慌ててサーバーの増設速度を加速したが、もはや間に合わなくなった。
品薄商法による行列作戦は、大成功したが、運営とユーザーとの関係は悪化した。というのは行列に並んでいるユーザーは早くニコ動を見せろと文句をいい、すでにニコ動を見れる会員は新しい会員が入るとサイトが重くなったと文句をいった。
邪悪すぎて笑うmtane0412.icon
そう、ニコ動黒字化の原動力となったプレミアム会員制度は、黒字化のためでなく、ユーザーから怒られないために考えられた仕組みだった。
ただ、僕らはすぐにひょっとして、これって黒字化できるんじゃね?と気づいてシミュレーションを始めた。月会費500円で会員数の5%がプレミアム会員になれば収支がトントンになることが分かった。
当時のネットは金を払わないで無料でネットサービスを使うユーザーが情報強者で、金を払うネットユーザーを馬鹿にする空気があった。
プレミアム会員が馬鹿にされない空気をどう作るかを話し合った。回線が金かかることはもうユーザーも理解しているから、優先回線は許される、自分たちの回線もプレミアム会員がお金を払ってくれるという認識を作ろう。この辺りの空気感の誘導は相当ひろゆきが貢献してくれた。
回線以外のプレミアム会員特典はできるだけ意味のない機能にすることにした。嫉妬されないためだ。コメントの色で、一番使い道のない黒色(背景が黒の動画が多いから)をプレミアムブラックという名前にしてプレミアム会員専用にした。「プレミアム会員なんてなっている奴いるのw w w」とかプレミアム会員を馬鹿にするコメントをプレミアムブラックで書き込む遊びが流行った。もちろん書き込んでいるのはプレミアム会員だ。馬鹿にしてるんじゃなくて、ただの自慢だ。
プレミアム会員をスタートしたのは2007年の7月。この月の新規入会者の20%がプレミアム会員だった。入会者のみとはいえ、損益分岐点の5%を大きく超えており、サービス開始から8ヶ月目の段階でニコ動がいずれ黒字化することは確定したといえる。ただ、当時のドワンゴの運営には、僕と小林社長以外に数字に強い人間がいなかったので、この時点で黒字化を確信してた人は他にはいなかったと思う。
僕はすぐに小林さんに言った。「黒字化は遅らせましょう。追加投資です。これ、もう絶対に勝てる勝負なのでエンジニアを(当時のドワンゴの主力だった)着メロ事業からシフトさせましょう」
黒字になるとユーザーの応援する空気も一挙に変わる。このボーナスタイムは長い方がいい。黒字化をギリギリまで遅らせて、どんどん追加投資をするというニコニコのその後の基本方針が決まった。
今回なげえな。あと、書くべきなのはプロモーションとブランディングかな。
いいや書き切る。
プロモーションについて。元々、ネットサービスのプロモーションにTVCMは効果ないと言われていた時代に、業界で最初に大々的なテレビCMを使ってサービス(着メロサイト)をヒットさせたのは、僕だという自負がある。でも、当時は主にソシャゲとかみんなテレビCMやり始めていて、今更だなと思ったのでテレビCM使わないで、なんか誰もやってない新しいプロモーションやろうと思った。ニコニコは常識ではないやり方で勝たないと意味がないと思っていたからだ。
ウェブサービスにバージョンアップの概念を持ち込み、大々的な発表会を行うことで世の中の注目を集める、という手法だ。要するにアップルのやり方をウェブサービスでやってやるということだ。
このやり方を成功させるためには、バージョンアップごとに大量の新機能を追加して世の中を驚かせる必要がある。当時のドワンゴのエンジニアだったら、それができると思った。
ドワンゴは元々、優秀なプログラマのネットサークルから始まった会社だ。中学生の頃から独学でプログラミングを学び、作ったゲームとかをネットに発表してた人間が集まっていて、とにかくやたら実装力が高い。大学とかも出てない人が多く、むしろ、大学の情報学部でコンピュータサイエンスを学んできた連中を、社会人デビューのプログラマであり、どうせコードなんかほとんど書けねえんだろと馬鹿にする雰囲気まであった。(当時の話です)
ただでさえコードを書くのが早い彼らに世の中にバージョンアップ発表会という形で締切を設けて、限界まで高速で機能を実装させようと思った。
当時、全盛期だったmixiの発表資料を調べさせた。年間でmixiが何個新しい機能を作っているか? 「この10倍の速度で機能を実装してほしい」
当時のCTOの千野くんは、最初、めっちゃ嫌がった。「5年間もてばいい。あと先考えずに作っていい。だったら、できるでしょ?」「それなら、もちろん、できますよ」
1年後調べたら、僕らの機能の実装速度はmixiのだいたい20倍に達していた。
この当時のネットはニコニコ動画はユーザーでさえ、1年は持たないから今のうちに楽しもうというのが共通認識だった。
僕は、なにくそ、2〜3年は暴れてみせると思っていたが、それでもyoutubeが本気になったら、5年は持たないなと読んでいた。
この後先を考えない高速開発は、やがて巨大な技術的負債を生むことになる。のちにイベントばっかりせずにニコニコ動画については、僕はユーザーからも批判を受けていることが多いが、ぶっちゃけ現在のニコニコ動画の現状を踏まえても、ほぼ全ての局面で難しい問題に対して奇跡的な正解を選び続けてきたと思っていて、全く後悔してない。僕がやってきた仕事の中でも自信作の一つだ。ただ、一つだけ後悔することがあるとすれば、ニコニコ動画初期の機能開発を急ぎすぎたことだ。20倍とか明らかにやりすぎだった。せめて5倍ぐらいにして、もっとリファクタリングの期間とか設けていても十分に戦えた。ただ、それも結果論だ。当時の僕らは普通の方法ではGoogle=Youtubeに勝てるわけがないという強迫観念の中で戦っていたのだ。
やっぱ長くなりすぎたな。今回はここまで。
というか、昔話は3回目ですが、これで、いったん、おしまいにします。