in a slumber - 肌のタイヤ
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哲学者のハンナ・アレントは人間の意のままにならないもの、つまり自然のことを「永久に回転のしている疲れを知らない絶えざる循環」 と言った。恒久性を目指し、自然に対して支配的に振る舞ってきた我々が生きる人工環境はむしろ自然環境のサブセットとして存在している。
本作品ではタイヤのゴムを皮膚の画像をプリントした布に置き換えたオブジェクトが永遠と回転し、その下に設置された Google Map が起動したipadをスクロールしている。マルセルデュシャンの《Le Grand Verre》(大ガラス)、《Roue de bicyclette》(レディメイドのタイヤ) に見る悪循環、空虚な循環性と , 自然の持つ絶えざる循環を対比させる。《Le Grand Verre》は見えるものと見えないもの、物理的な現実と精神的な現実の間の関係を探求する。本作品《in a slumber - 肌のタイヤ》においては自転車のタイヤを人間の肌で覆うことで、実際の物理的な接触(タイヤが地面に触れること)と、仮想的な接触(人間の指が Google Map を通じて地球を探索すること)という二つの異なる種類の「触れ合い」を描く。これは、デュシャンが探求した視覚と触覚の間の緊張関係と平行している。デュシャンは視覚を通じて物理的な接触の幻想を創り出しながらも、実際の触れ合いは不可能であることを強調した。ガラスという透明な媒体を通して見ることができるが、同時に触れることはできない、つまり視覚と触覚の間の隔たりを生み出している。Google Map は地球の表面のデジタル化された表現であり、それを通じて人々は世界を「探索」することができるが、それはあくまで仮想的な体験である。地球の肌を地表とした時、タイヤは地球の肌に接しながら走っていると言える。人間の肌は Google Map を通じて仮想の地球表面を撫でて場所を探索するが、自転車のタイヤを人間の肌に置き換えたときに、Google Map という幻想の地球の肌と人間の肌のふれあいという親密な関係を連想させながらも、それはガラスによって隔てられた視覚的なイメージでしかなく、恒久性を目指す現代的なテクノロジーの自己愛的な側面を映し出す。
https://youtu.be/d0UGRNR-tL0
material : 自転車のタイヤ、DC モーター、ポリエステル布、ipad、単管パイプ、方位磁石
2024/07