第二次世界大戦の流れ
全体の流れで見るのもよいが、主要国別の流れを見たあとに整合させるほうが良いかもなmrsekut.icon
参考
1931年
9月18日
1935年
10月2日〜1936年5月
ファシスト政権下のイタリアによるエチオピア侵攻、征服、併合 1936年
10月25日
11月1日
1936年
11月25日
1937年
7月7日
1938年
3月11日〜13日
9月29日
ドイツ、イタリア、英国、フランスが、チェコスロバキア共和国にチェコスロバキアの防衛拠点を含む主要なスデーテン地方のナチスドイツへの譲渡を強制するミュンヘン協定に調印。 1939年
3月14日〜15日
3月31日
フランスと英国がポーランドの国境を保障。
4月7日〜15日
ファシスト政権下のイタリアによるアルバニアの侵攻および併合。
8月23日
東ヨーロッパを勢力圏に分割
9月1日
ドイツがポーランドに侵攻
第二次世界大戦の始まり
9月3日
イギリス、フランスがドイツに宣戦布告
ポーランドの国境保障
9月17日
ソビエト連邦が東からポーランドに侵攻
9月27日
ワルシャワが降伏
ポーランド政府はルーマニアに亡命
ドイツとソビエト連邦は両国間でポーランドを分割
11月30日〜1940年3月12日
ソビエト連邦がフィンランドに侵攻
フィンランドは休戦を求め、ラゴダ湖北岸と北極海沿いのフィンランドの小さな海岸線地帯をソビエト連邦に譲渡
バルト三国の併合
1940年
4月9日〜6月9日
ドイツがデンマークとノルウェーに侵攻
デンマークはこの襲撃の当日に降伏
ノルウェーは6月9日まで抵抗した
5月10日
ドイツが西ヨーロッパのフランスおよび中立の低地帯諸国を攻撃
ルクセンブルク占領される
5月14日
オランダ降伏
5月28日
ベルギー降伏
6月10日
イタリアが参戦
イタリアは6月21日に南フランスに侵攻
6月14日〜18日
ソビエト連邦がバルト海沿岸諸国を占領
6月22日
フランスが休戦協定に調印
これによりドイツはフランスの北半分と大西洋海岸線地域全体を占領
南フランスでは、ヴィシーを首都とする敵国に協力的な政権が樹立。
6月28日
ソビエト連邦が、ルーマニアに対して東部地域のベッサラビアとブコビナの北半分をソビエト・ウクライナに譲渡することを強制。
8月3日〜6日にそれらの国をソビエト連邦に併合。
7月10日〜10月31日
空軍大戦略として知られる航空戦はナチスドイツの敗北に終わる。
8月3日〜6日
バルト海沿岸諸国をソビエト連邦に併合。
8月30日
第2回ウイーン裁定: ドイツとイタリアは、ルーマニアとハンガリーの間の争点となっている地域であるトランシルバニアの分割に関する決定を調停に委ねる
北トランシルバニアを失ったことにより、ルーマニア王キャロルは息子マイケルを支持してやむなく退位
イオン・アントネスク将軍の下に独裁政権が樹立
9月13日
イタリアがイタリア支配下にあるリビアから英国支配下にあるエジプトに侵攻。
9月27日
ドイツ、イタリア、日本が三国同盟に調印
アメリカを敵国とすることを明確化
10月28日
イタリアがアルバニアからギリシャに侵攻。
11月
スロバキア(11月23日)、ハンガリー(11月20日)、およびルーマニア(11月22日)が枢軸国に加盟。
1941年
2月
ドイツが北アフリカにアフリカ軍団(Afrika Korps)を送り、苦戦するイタリア軍を援護。
3月1日
ブルガリアが枢軸国に加盟。
4月6日〜1941年6月
ドイツ、イタリア、ハンガリー、ブルガリアによるユーゴスラビアの侵攻および分割。4月17日ユーゴスラビアが降伏。
ドイツとブルガリアはイタリアを支持してギリシャに侵攻。
ギリシャの抵抗が1941年6月初旬に終わる。
4月10日
テロリストのウスタシャ運動の指導者がいわゆるクロアチア独立国を宣言。
ドイツとイタリアに即座に承認された新しい国家には、ボスニア・ヘルツェゴビナの地方が含まれた。
クロアチアは1941年6月15日に正式に枢軸国に加盟。
6月22日〜11月
ナチスドイツとその枢軸国パートナー(ブルガリアを除く)がソビエト連邦に侵攻。
冬戦争の終結となった休戦での領土喪失に対する救済を求めるフィンランドは、侵攻の直前に枢軸国に加盟。
ドイツは、バルト海沿岸諸国をすばやく制圧し、フィンランドと協力して、9月までにはレニングラード(サンクト・ペテルブルク)を包囲。
中部では、8月初旬にドイツ軍がスモレンスクを占拠し、10月までにはモスクワへと進軍。
南部では、9月にドイツとルーマニアの部隊がキエフ(Kyiv)を占拠、さらに11月にはドン川沿いのロストフを占拠。
12月6日
ソ連の反撃によりモスクワ郊外からドイツ軍が大混乱の中を撤退。
12月7日
12月8日
米国が日本に対して宣戦布告し、第二次世界大戦に参戦
日本軍がフィリピン、仏領インドシナ半島(ベトナム、ラオス、カンボジア)、および英領シンガポールに上陸する
1942年4月までには、フィリピン、インドシナ半島、およびシンガポールが日本軍の占領下となる。
12月11日〜13日
ナチスドイツとその枢軸国パートナーが米国に対して宣戦布告。
1942年
5月30日〜1945年5月
英国軍がケルン(Cologne)を爆撃し、ドイツ国土内に初めて戦闘が及ぶ。その後3年間にわたり、英米の爆撃によりドイツは瓦礫に帰す。
6月
英国および米国海軍が太平洋での日本の進撃をミッドウェイ島で止める
6月28日〜9月
ドイツとその枢軸国パートナーがソビエト連邦で新たな攻撃を開始
9月中旬までには、ドイツ軍はボルガ川沿いのスターリングラード(Volgograd)まで進撃し、クリミア半島を確保した後、コーカサス深部へ侵入。
8月〜11月
米国軍がオーストラリア方向への島から島への日本の進軍をソロモン諸島のガダルカナル島で止める。
10月23日〜24日
英国軍がエジプトのアラメインでドイツ軍とイタリア軍を破り、混乱の中で枢軸国軍はリビアを横断してチュニジアの東国境まで追いやられる。
11月8日
米国軍と英国軍が、フランス領北アフリカのアルジェリアおよびモロッコの海岸の複数の拠点に上陸
ヴィシー政府軍が侵略に対する防衛に失敗したことにより、連合国軍はチュニジアの西国境に素早く移動し、11月11日にドイツが南フランスを占領。
11月23日〜1943年2月2日
ソ連軍が反撃して、スターリングラードの北西および南西でハンガリーおよびルーマニアの戦線を打破し、ドイツ第6軍を市内に立ち往生させる。撤退およびソ連軍の包囲からの脱出をヒトラーから禁じられていた第6軍の生存者は、1943年1月30日および2月2日に降伏。
1943年
5月13日
チュニジアの枢軸国軍が連合国軍に降伏し、北アフリカの軍事行動を終了。
7月5日
ドイツがソビエト連邦のクルスク近郊で戦車による大攻撃を開始。ソ連はこの攻撃を1週間以内に鈍らせ、独自の攻撃を開始する。
7月10日
米国軍と英国軍がシチリアに上陸。8月中旬までに連合国軍がシチリアを支配。
7月25日
ファシズム大評議会ではベニト・ムッソリーニを退陣させ、イタリアの元帥ピエトロ・バドリオが新政府を打ち立てる。
9月8日
バドリオ政府が連合国に無条件降伏。ドイツは即座にローマと北イタリアを占拠し、9月12日にドイツの奇襲部隊によって拘禁から解放されたムッソリーニの下に傀儡ファシスト政権を樹立。
9月9日
連合国軍がナポリ近郊のサレルノの海岸に上陸。
11月6日
ソ連軍がキエフを解放。
1944年
1月22日
連合国軍がローマの南にあるアンツィオへの上陸に成功。
3月19日
ハンガリーが枢軸国パートナーシップから脱退することを恐れたドイツ軍は、ハンガリーを占領し、その執権である最高司令官のミクローシュ・ホルティに親独の総理大臣を指名させる。
6月4日
連合国軍がローマを解放。その後6週間で、英米の爆撃機が初めてドイツ東部のターゲットに的中させることができるようになる。
6月6日
英国軍と米国軍は、フランスのノルマンディー海岸への上陸に成功し、ドイツ軍に対する「第二戦線」を開く。
6月22日
ソ連が東白ロシア(ベラルーシ)で大攻撃を開始。ドイツ中央軍集団を撃退して、西方向に進撃し、8月1日までにはポーランド中部のワルシャワの向かい側にあるヴィスワ川に到達。
7月25日
英米軍がノルマンディー上陸拠点を突破し、東のパリ方面へと大急ぎで移動。
8月1日〜10月5日
ソ連軍の到着前に、ワルシャワを解放するために非共産主義者の地下組織の国内軍がドイツに対して蜂起する。ソ連の進軍はヴィスワ川の東川岸で止まる。10月5日、ドイツは、ワルシャワで戦っていた国内軍の残党の降伏を受け入れる。
8月15日
連合国軍が南フランスのニース近郊に上陸し、ライン川に向けて北東方向に急速に前進。
8月20日〜25日
連合国軍がパリに到達。8月25日、連合国軍に支持された自由フランス軍がフランスの首都に入る。9月には、連合国軍がドイツ国境に到達。12月には、フランスのほぼ全土、ベルギーの大半、およびオランダ南部の一部が解放される。
8月23日
ソ連軍のプルト川出現が、ルーマニアの反発はアントネスク政権を打倒する。新政府は休戦を成立させ、即座に戦争で敵側につく。ルーマニアの寝返りにより、9月8日にブルガリアは降伏を余儀なくされ、10月にはドイツがギリシャ、アルバニア、および南ユーゴスラビアから撤退。
8月29日〜10月28日
共産主義者と非共産主義者の両方で構成されるスロバキア国民評議会の指導の下に、地下組織のスロバキア・レジスタンス団体がドイツと現地のファシスト・スロバキア政権に対して蜂起する。10月末には、ドイツが蜂起の本部であるバンスカー・ビストリツァを制圧し、組織的抵抗に終止符を打つ。
9月12日
フィンランドが、ソビエト連邦との休戦を成立させ、枢軸国パートナーを脱退。
10月15日
ハンガリー政府がソ連への降伏についての交渉を進めないように、ハンガリーのファシスト矢十字運動がドイツの支持によりクーデターを遂行。
10月20日
米国軍がフィリピンに上陸。
12月16日
ドイツ軍は、ベルギーを再征服して連合国軍をドイツ国境に沿って分割することを企て、バルジ大作戦と呼ばれる西欧における最終攻撃を開始。1945年1月1日までにドイツ軍は撤退。
1945年
1月12日
ソ連軍が新たな攻撃を開始して、1月にワルシャワとクラクフを解放し、2か月間の包囲攻撃の末、2月13日にブダペストを占拠。4月初旬にはドイツ軍とそのハンガリー人協力者をハンガリー国外に追放し、4月4日のブラチスラヴァの占拠に伴いスロバキアの降伏を強制。4月13日にはウィーンを占拠。
3月7日
米国軍がレマゲンでライン川を渡る。
4月16日
ソ連軍が最終攻撃を開始し、ベルリンを包囲。
4月
ユーゴスラビアの共産主義指導者ヨシップ・チトーが率いるパルチザン団体がザグレブを占拠し、ウスタシャ政権を打倒。ウスタシャの上級幹部はイタリアとオーストリアに逃れる。
4月30日
ヒトラー自殺。
5月7日
ドイツが西側の連合国軍に降伏。
5月9日
ドイツがソ連に降伏。
5月
連合国軍が日本列島に到達する前の最後の島の沖縄を征服。
8月6日
米国が広島に原爆を投下。
8月8日
ソビエト連邦が日本に対して宣戦布告し、満州に侵攻。
8月9日
米国が長崎に原爆を投下。
1945年8月14日
無条件降伏に大筋で同意したことにより日本が正式に降伏し、第二次世界大戦が終結。