手段の目的化への欲望
作りたいから作ってしまう
起業したいから起業してしまう
それを行ってなにかするのではなく、それを行いたいからそれを行ってしまう
そういうもの、かもしれない
それで意味ないものを作ってしまったなと感じた時に、次からは手段を手段として捉えられるのかも
ダメ、というか、むしろ必要な過程というか
憧れ、みたいな
アメリカで働きたいからアメリカで働くみたいな
良い大学に行きたいから良い大学に行くみたいな
受験する時に「〇〇大学行きたい」と言った時に「そこに行ってどうするの?」みたいに聞かれるやつ
「うるせえよ」となる
手段とか目的とか視座の上下移動でしかない
いい感じに移動させていい感じにモチベートする
上側の視座を獲得してなければ、そこへ移動できない
高校生に対して、社会人が「その大学に行ってどうするの」というやつ
仕事をするのも成果を出すのも、幸せに生きるための一手段に過ぎない
それって手段の目的化をしちゃってますよね、というのは批判として弱い、