思考型スクボプロジェクトは、n主導よりも1-n主導
という仮説
用語定義
n主導
n人で頑張るプロジェクト
全員主役
1主導
1人で頑張るプロジェクト
いわゆる個人プロジェクト
1-n主導
一人で頑張り、補佐がいるのが1-n主導
一人が主軸で、ツッコミが存在する
ちなみに、privateである必要はないmrsekut.icon
スクボは本来はwikiであるので、n主導向けのデザインではある
会社やなにかのコミュニティの場合は、目的が同じなのでルールなどを整備して、ドキュメントをまとめればいい 例
思考ツールとしてのn主導プロジェクト
例
スクボを「思考ツール」としてを見たときは、1主導の方がうまく回る気がしている
各々が個人プロジェクトを持っていたりするので、n主導プロジェクトに書く理由が出てこなかったりする
zatsubenとかはメンバーの関心が離れている分野もあるのでコメントが難しかったりする
「一緒すぎるよりは離れている方が良い」気はするけど、実際やってみると難しかった
「みんなで圏論やろうプロジェクト」よりもzatsubenの方が可能性を感じる
n全体の目的意識とか、求心力が無いと活動継続が難しい
一時的にメイン活動者のコミットが減ると、サブ活動者の定着ができずに霧散する
一方で、個人プロジェクトを徘徊することはままある
最新のものを見たり、ランダムで適当に見たりする
ルールのようなブレーキがないので、「思考の深さ」としてはn主導よりも質が良いように感じられる
他人の1主導プロジェクトには、基本別の人は入っていか(け)ないので、
徘徊していてツッコミポイントや疑問があってもだいたいスルーするmrsekut.icon
Twitterでわざわざ言うほどでもないしなー、になる
なので、1主導プロジェクトに、「たまに見る」程度の他の人がいると良いのかもしれない
誤字を直したり
論理の甘さを詰めたり
思考の狭さを広げたり
意見を述べたり
それが1-n主導
考えられる1-n主導のデメリット
とは言っても1側の心のブレーキはかかるだろう
完全なprivateととはやはり異なる
意識的に無にするしかない
補佐側の存在感の出し方が難しいかもしれない
「どこまで編集していいんだろう」になる
「個人プロジェクトなのでどこまでも親切に書かない気持ち」と「フィードバックを期待する気持ち」がぶつかる気がする
補佐側にあまりメリットがない
1とnの関係性にも依る気がする
自分がnになったことがないのでなんとも言えないが、相互にできるのが理想だと思っている
今のScrapboxではそれができない
というかやりづらい
1側はある程度ルールを明示しておくと良いかも
ツッコミコメント(+icon)は、どんどん消していく
ex. 「ここおかしくないですか?mrsekut.icon」みたいなやつ
それを受けて組み込んでいく
必要であれば残す
nプロジェクトでは、それも微妙にやりづらかったりする
他者のコメントを編集しづらい
1-n主導は、「誰々がやっている」と聞いたこともないし
自分の個人プロジェクトに誰かを入れたこともないし、
自分が誰かの個人プロジェクトに入ったこともないので
実際どんな感じになるのかはわからない
いくつかあるらしい
スクボの個人プロジェクトごとの連携は、前から課題としてあり続けている気がする
誰かのスクボに書いているのも見たことがある気がするmrsekut.icon
具体的なことは全く見えていないがmrsekut.icon
孤が孤のまま連携できるのが良い
人間の種類に関係なく、複数の個人プロジェクトを持つ人なら既に行ったり来たりを繰り返している
この単語、こっちにあったかな、あっちにあったかなって
なので、n関係なく欲しい
互いの個人用プロジェクトに、ページのハブ的なものを作ってリンクするなど
リプライの往復がめんどくさいことになる
具体的に考えるならこういう課題は出てきそう..