周囲の誰が死んでも感情が動かないぐらいの依存度で生きたい
親に対しても、恋人に対しても、友人に対しても
我が子とかは難しそう、知らんけど
実際問題、人間関係、面倒なことが多すぎるのが、想起の理由
これもあるが、「まぁ、人間、死ぬよね」みたいなノリもある気がする
死に対するハードルを上げすぎない
生きている方が珍しい、ぐらい
全然会っていなかった祖母や、高校の同級生の訃報を耳にしても感情が動かないのと同じ
動くのは依存度の差
全然会っていないし、未来永劫会わないであろう人の死は、現象として無に等しい
見ていないものが勝手に消えた感じ
それまでの日常で存在を意識してなかったくせに、いざ死んだら話題に上げて「残念やなー」みたいな発言をするのが理解できない
それで、「関係なくね」みたいに言うと「不謹慎だ」となる
近しい人が泣いているのはまだ理解できる
そしてそれを避けたいと思っている
「でも自分が死んだときに誰も悲しむ人がいなかったら悲しくない?」という反論(?)
意味がわからない
悲しいわけがない
どうせ認知できないんだからそんなのを考える意味ないし、それを不安視して生きる意味もない
別に爆破させたくはないか
してもいい、ぐらい
死ぬ前に爆破スイッチ押しますか?の問いに、Noと答える理由があまりわからない
思いやりか
そいつ目線では何の違いもない気がする
親族に対しては、「するなよ〜」と言うが、
自分がする分には全く関係がない