『善人ほど悪い奴はいない』
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凄いなこの本mrsekut.icon
ニーチェの思想がマジでこんな感じなのか
両方知らんので判断できないが、中島義道節もまぁまぁ乗ってるのかな 壮大な愚痴とも見れる
第1章 善人と弱者
弱さを正当化することを批判
口先だけで「世の中おかしい」と言っている人は、道徳的に悪い
悪さを自覚していないから。
泥棒は少なくとも悪さを自覚しているので↑こういう人よりマシ
新型の弱者は、自分を正しいとも思っていない
日本で増量中
誹謗中傷マン
社会の弱者支配を覆して強者支配にしようとすると、弱者に支えられ弱者の好み通りの強者支配になる
弱者に理解できる程度の単純な強者による支配になる
ほんまに?mrsekut.icon
2章 善人は安全を求める
花火大会や、初詣のような人の集まるところで、「安全第一!「とか「押さないでください!並んでください」というのは間違っている
それをやっている警察もおかしいし、それをふつうのコトだと感じている一般人もおかしい
この警察の行為は侮辱であると捉えるべき
何でもかんでも安全を重視しすぎて、自ら危険な状況を察知する能力が摩耗する
オレオレ詐欺にあって騙されたのなら、騙される人が悪い。
エスカレーターで子供が怪我したらなら、その子供が悪い
周りが過剰にとやかく言う必要はない。「思いやりがない」とか言っている場合ではない
「生きているだけで素晴らしい」みたいな、弱者を救う言葉
何もしないことを許容する
平凡な日常を過ごせてるだけで素晴らしい、とか言う
大手のジャーナリズムが「嫉妬と嫌悪」の撒き散らし方の先鞭を付ける
自分が引き起こしたことでなくても責任を負おうとする
悪徳商法などに騙されるが決まって弱者なのは、彼らが善人だから
救いようがなく臆病で警戒心が強い
若者が殺されたときに「とてもいい人だったのに」と発言する感じ
善人は偶然や事故を忌み嫌う
悪人なら殺されてもよいのか?
第3章 善人は嘘をつく
利己主義の解像度を上げられそうなお話mrsekut.icon 善人が周りに優しくするのは、自分が優しくされるため
なので逆に、
痴漢犯人には優しくしない、
いじめられっ子には優しくない
自分がいじめられるから
他人の反感を買わないために必然的にウソを付くことになる
友人が悪人から追われて、自分の家に逃げ込んできたときに、悪人に「奴はどこに行った?」問われたときに、「裏口から出ていった」と嘘をついてはいけない
友人を守るなど関係なく、嘘をついてはいけない
善人はなりふり構わず好意を振りまく
逆に、この好意は、全ての人に喜ばれるに決まっている、と考える
女はすぐ嘘を付く
女は真理を欲しない
見せかけと美
女の人生の目的は妊娠である
男はその目的のための手段にすぎない
第4章 善人は群れをなす
強い者は弱い者を守る義務がある
と弱者は考える
スターリンやヒトラーは、「弱者が権力を持った成れの果て」という感じなのねmrsekut.icon
自分の正しさを主張して譲らないよりは、自分に不正を帰するほうが高貴である。自分が正しい場合にはとりわけそうだ。ただ、そうするに足るだけ豊かでなくてはならない
強者の哲学
強者はもとも強いので、平等を求める必要がない
不当に損を被る位置にいても敢えてそれを受け入れる
「弱者も努力次第で夢は実現できる」と宣う人たち
幻想的平等主義を教え込んだ人たち。裏ボス
公の席で何かを語るものはこれ
それは言い過ぎでは?mrsekut.icon
第5章 善人は同情する
同情批判
善人は同情されたいから同情する
同情は、苦しむ者に共感すること
喜ぶことに共感することではなく
同情は自由な人間関係を崩壊させる
同情することで得られる「良いことをした」感が、その人の魂を腐らせる
良いことをした、と誇ってしまう
同情する者が、その行為を心底から恥じているなら同情してもいい
同情する側が羞恥を感じることで、同情される側は羞恥を感じずに済む
第6章 善人はルサンチマン(恨み)を抱く
道徳的になるのは、道徳的であるからではない
人々を道徳的にするためには、鞭を当てて体に叩き込む必要がある
非道徳的強制が必要