『善人ほど悪い奴はいない』
#府大図書館
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中島義道著
Friedrich Wilhelm Nietzscheについての本
/mrsekut-b/善人ほど悪い奴はいないにもうちょい書いている
凄いなこの本mrsekut.icon
ニーチェの思想がマジでこんな感じなのか
両方知らんので判断できないが、中島義道節もまぁまぁ乗ってるのかな
壮大な愚痴とも見れる
第1章 善人と弱者
弱者
ニーチェの弱者批判
つまり、キリスト教批判
弱さを正当化することを批判
口先だけで「世の中おかしい」と言っている人は、道徳的に悪い
悪さを自覚していないから。
泥棒は少なくとも悪さを自覚しているので↑こういう人よりマシ
新型の弱者は、自分を正しいとも思っていない
日本で増量中
誹謗中傷マン
社会の弱者支配を覆して強者支配にしようとすると、弱者に支えられ弱者の好み通りの強者支配になる
弱者に理解できる程度の単純な強者による支配になる
Adolf Hitlerがその強者の例らしい
ほんまに?mrsekut.icon
2章 善人は安全を求める
花火大会や、初詣のような人の集まるところで、「安全第一!「とか「押さないでください!並んでください」というのは間違っている
それをやっている警察もおかしいし、それをふつうのコトだと感じている一般人もおかしい
この警察の行為は侮辱であると捉えるべき
何でもかんでも安全を重視しすぎて、自ら危険な状況を察知する能力が摩耗する
オレオレ詐欺にあって騙されたのなら、騙される人が悪い。
エスカレーターで子供が怪我したらなら、その子供が悪い
周りが過剰にとやかく言う必要はない。「思いやりがない」とか言っている場合ではない
「生きているだけで素晴らしい」みたいな、弱者を救う言葉
何もしないことを許容する
平凡な日常を過ごせてるだけで素晴らしい、とか言う
大手のジャーナリズムが「嫉妬と嫌悪」の撒き散らし方の先鞭を付ける
ジャーナリズムの主導層をニーチェはタラントゥラと呼ぶ
没落
「権力への意思」
運命愛
貴族道徳
運命愛
自分が引き起こしたことでなくても責任を負おうとする
悪徳商法などに騙されるが決まって弱者なのは、彼らが善人だから
救いようがなく臆病で警戒心が強い
若者が殺されたときに「とてもいい人だったのに」と発言する感じ
善人は偶然や事故を忌み嫌う
悪人なら殺されてもよいのか?
第3章 善人は嘘をつく
利己主義の解像度を上げられそうなお話mrsekut.icon
善人が周りに優しくするのは、自分が優しくされるため
なので逆に、
痴漢犯人には優しくしない、
いじめられっ子には優しくない
自分がいじめられるから
他人の反感を買わないために必然的にウソを付くことになる
「人間愛から嘘をつくという誤った権利について」
友人が悪人から追われて、自分の家に逃げ込んできたときに、悪人に「奴はどこに行った?」問われたときに、「裏口から出ていった」と嘘をついてはいけない
友人を守るなど関係なく、嘘をついてはいけない
善人はなりふり構わず好意を振りまく
逆に、この好意は、全ての人に喜ばれるに決まっている、と考える
女はすぐ嘘を付く
女は真理を欲しない
見せかけと美
女の人生の目的は妊娠である
男はその目的のための手段にすぎない
第4章 善人は群れをなす
畜群
強い者は弱い者を守る義務がある
と弱者は考える
スターリンやヒトラーは、「弱者が権力を持った成れの果て」という感じなのねmrsekut.icon
自分の正しさを主張して譲らないよりは、自分に不正を帰するほうが高貴である。自分が正しい場合にはとりわけそうだ。ただ、そうするに足るだけ豊かでなくてはならない
ref 『ツァラトゥストラ』
強者の哲学
強者はもとも強いので、平等を求める必要がない
不当に損を被る位置にいても敢えてそれを受け入れる
タラントゥラ
「弱者も努力次第で夢は実現できる」と宣う人たち
幻想的平等主義を教え込んだ人たち。裏ボス
公の席で何かを語るものはこれ
それは言い過ぎでは?mrsekut.icon
第5章 善人は同情する
同情批判
善人は同情されたいから同情する
同情は、苦しむ者に共感すること
喜ぶことに共感することではなく
同情は自由な人間関係を崩壊させる
同情することで得られる「良いことをした」感が、その人の魂を腐らせる
良いことをした、と誇ってしまう
同情する者が、その行為を心底から恥じているなら同情してもいい
同情する側が羞恥を感じることで、同情される側は羞恥を感じずに済む
第6章 善人はルサンチマン(恨み)を抱く
道徳的になるのは、道徳的であるからではない
人々を道徳的にするためには、鞭を当てて体に叩き込む必要がある
非道徳的強制が必要