「誹謗中傷」批判だけでは、その枠組を外れていない
「誹謗中傷」批判だけでは、その発言者は、誹謗中傷マンの枠組みを外れていないのでは?
誹謗中傷が蔓延る世界で、わざわざ「誹謗中傷してもいいっしょ!」と言う人はいない 恐らくみんなが、「誹謗中傷は良くない」と認識している
しかし、誹謗中傷は社会問題として依然として蔓延っている
SNS上で、軽い気持ちでするその発言が、誹謗中傷の流れに加担していることに自覚がない
なので、「自分は誹謗中傷していない」が、「他の人達は誹謗中傷している」。アイツラはダメだ、
という発想になる
「誹謗中傷」に対し、「誹謗中傷だから」という理由で批判している程度の思考の浅さであれば、自分がそれに加担していることに気付けない気がする
なので、本当に誹謗中傷という現象に異を唱えるならば、誹謗中傷批判はできないはずである
上の文章は、「誹謗中傷」を「いじめ」に換えても成り立つ なんか自然な(?)現象に対して、偏った差別的マインドがあるが故に、「それって性差別じゃないですか?」みたいな批判のための発言をすることで、その批判側の思考の得体がしれちゃう感じ
良い例を思いつかないmrsekut.icon
/mrsekut-p/これがニーチェだ.icon p.40に近い表現が出てきた
敵が称揚する価値を否定してその逆を主張している限り、敵の空間の内部にいる。
空間の内部で対立する価値を称揚するのではなく、その対立空間それ自体を否定し、自分の空間の内部に引き入れて位置づけてしまわなければ、完全な勝利をおさめることはできない