特定のアートフォームではない話
何回かAlgoraveTokyoをオーガナイズしてて思ったのは、出演者の方から事前にAlgoaveでは何かプログラミングをしている画面や、エディタ画面を必ずスクリーンに出す必要があるのか、自分はプログラムを書かないのでそういうものは出せない、というような問い合わせが少なからずあったことだ。
もちろん演奏中の操作画面を隠さずオーディエンスに見せるというのが基本コンセプトにある。手元を見せるというのにはもともと、楽器を演奏する人は楽器を演奏するところは見せるけど、それと同じことがラップトップミュージックでも起こっていないのは変だよね、という問題意識があったからだと思う。でもそれがテキストエディタや黒い画面である必要というのは特にルール化されてない。
特定のアートフォームを持たないのがデジタルメディアの良いところだと習った。しかしそれがある種のフォームだと思われしまうのは本末転である。
最近本拠地シェフィールドでは Algomech といういろんなアートフォーム(しかし共通してアルゴリズムにフォーカスしている)を扱うフェスが精力的に行われていて、音楽以外の表現者も集めた総合的なアートフェスのようになってきている。 個人的にはかつての Artbots というロボットにフォーカスしたアート、アーティストを集めたコレクティブ・フェスティバルを思い出した。ロボットにフォーカスしているとはいえバックグラウンド様々で、工学、楽器、音楽、彫刻、ソフトウエア、バイオなど、まさにジャンル横断で各国から多様なアーティストが参加していた。 Atrbotsは dorkbotをやってた人たちがキュレーションを行っていて、そこには通底したハッキング精神というのがあったと思う。ソフトウエアをハックスする、フォームを崩すという姿勢がベースになったアート運動だったと思う。デジタル版アンフォルメル。