誰も傷つけない表現はない
誰でもを地球上の100%にすると絶対無理だと思うので、80%ぐらいとして考える(これでも難しいが...)
実際にこれを満たす必要はまったくない
自分の発表を世界中の人が見るというのは、ありそうもない過大な前提
発表を見る可能性がある人の80%と絞って良いだろう
あてつけだと思われた人が本当にキレていて、何も書いてないのにオチがついている
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あるかもしれないけど、それは誰にも刺さらず、相手にされない表現なんじゃないのか?
「猫」ですら誰からも愛されるわけではない
https://gyazo.com/7c8ff8edf8aea34d06e5166de8b53fe5
——誰かを傷つけるかもしれない葛藤もあったとか。でも、誰も傷つけないように考えてしまいすぎると何も描けなくなりそうです。
よしなが:毎回せめぎ合いです。若い頃に編集者さんに「とにかく目立たない漫画を描きたい」と話したら「それでは面白い作品にはならないので」と諭されたこともあります(笑)。具体的な表現である限り、絶対誰かを傷つける。なので、そこは諦めた……ところはあります。
(略)
よしなが:クラシックの音楽家の方が「クラシックはどんなに感情を込めても、歌詞のない抽象的な表現だから誰かを傷つけない」と言っていて、これを聞いた時に諦めがつきました。具体的な表現はもう絶対に誰かを傷つけるんだと。
——どうやって腹を括っているんですか?
よしなが:今でも腹を括れてはいないです。おそらく執筆中はある種のトランス状態になっているんだと思います。読みたかったものをアウトプットして自分で読んでるわけですから、アドレナリンがすごく出る。そういう快感があるから続けられる仕事だと思います。
もちろん配慮は忘れてはいけないんですけれど「これは絶対面白い、形にしたい」という勢いが無ければ、とてもじゃないけど、物語を1本描き上げることはできません。
よしなが:ポリティカルコレクトネスは物語の面白さに資するものとして大事だと思います。
——現代は、配慮を過度に求められるとして「表現が難しい」とも言われています。
よしなが:私は、逆に描ける内容の幅もすごく広くなったようにも思っています。BLだって、セックスありきの恋物語ではなく、ゆっくり時間をかけて愛を育む物語を描けるようになってきたと思いますし、理屈っぽい女の子が魅力的に描かれている漫画も人気。恋愛を描かない物語もすごく増えました。でも、読者としては恋愛ものも大好きです。
ここは質問に対する回答になっていないように思った。配慮を求められることとは無関係では?基素.icon
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