許諾を受けたパロディは原作者に気を遣いつまらなくなる
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回答をありがとうございました。生成AI関連のニュースは追い切れていないので、参考になりました。また、このように優しく書いていただけると、こちらも耳を傾けたくなります(^_^)。
いちおうですが、マンガ家としての仕事の道具として画像系生成AIを使おうと思ったら、現状では「まるで(オバカで)使えません」。いわゆるハルシネーションで、あり得ない絵を出すことが多いからです(これはテキスト系も同じです)。
いまのところ最大の問題は、AIがクローリングで集めているデータについてかと思いますので、とりあえず、この点に絞って論議させてください。
クローリングで収集されるデータで問題があるとされているのは,「(1)違法データ」と「2〉著作者が収集を望まないデータ」かと思います。(1)についてはAI賛同者でも問題だと思っている人の方が大半ではないでしょうか(個人的な感想です)。
いま、声を大にして反AIの立場をとる人の多くは、(2)で被害を被っているクリエイター(と支援者)の皆さんかと思います。現状の皆さんの意見を読んでいると、「自分の作品(データ)が勝手にアレンジされて、他人の作品として発表されたり販売されたりするのがイヤだ」と言っているように見えるのですが、ちがっているでしょうか?
なぜデータを収集されるかといえば、ネットで作品を「公表」しているからでしょう(AIに収集されるのがイヤで、クローズドな場所に作品を移している人がいることも見聞しています)。
作品を公表すると、それを見た人に無断で使われることがあります。代表的なものは「引用」です。報道や批評、研究などの「正当な目的」があれば、作品の一部を無断で使うことができます(出所の明示など条件あり)。ただし、引用の場合は、アレンジなどの改変は著作者人格権で禁じられています。
引用以外にも作品が無断で使われることがあります。たとえば「パロディ」です。当てこすりやからかいの材料にされますが、これは風刺も含め、一種の批評といえます。 また、「パスティーシュ」や「二次創作」もあります。とりわけ二次創作はグレーゾーンとされてますが、有料で販売されているにもかかわらず、人気のバロメーターでもあり、目くじら立てずに黙認している原作者が大半ではないでしょうか? もしかすると「大人げない」と言われるのがイヤで、ガマンしている人もいるかもしれません。
さらに作品を公表すると「学習教材」にされることもあります。クリエイターの大半がそうだと思いますが、絵やマンガの描きはじめは「真似」や「模写」「トレス」などから始まっていたはずです。魅力的な作品が登場すると、多くの人が飛びつき、学習して、似た作品を発表します。それがブームやトレンドになることもあります。いまの「かわいいキャラクター」や「異世界転生もの」といった作品群などは、その典型ではないでしょうか? 当事者たちは、その差異がわかりますが、一般の読者には違いがわかりません。 日本のマンガも、真似て真似られての歴史を繰り返して。いまのような発展があります。
私も、真似て模写してトレスして……を繰り返すことで、マンガ家としての命を長らえてきました。時代や流行に合わせて(ときには作品ごとに)、作風や絵柄を変えてきたからです。当然、その時々のトップランナーの作品を意識してきました(柳の下狙い)。
また、これは大きな声で公言していますが、私の代表作である『ゲームセンターあらし』は、キャラクター作りやストーリー作りにおいて『釘師サブヤン』と『包丁人味平』(いずれも原作・牛次郎&マンガ・ビッグ錠〈敬称略〉)を参考にしています。もちろん無断です。
反対に『ゲームセンターあらし』は、多くのマンガやアニメの作品でパロディのネタにされています。許諾を求められることもありますが、「パロディだったら許諾など求めないでください」と回答しています。その理由は「許諾を受けたパロディは、毒気が薄れて、つまらないものになる」からです。 さらに『ゲームセンターあらし』の表現手法も、その後、多くの児童マンガ作品で参考にされたり、換骨奪胎されたりしました。
私は、自身が多くの先達の作品を参考にし、解体・再構成して自分の表現らしきものを作りました。次は、それが真似され、さらに変転していきました。これが日本マンガを支えてきた「伝統」です。
このようなことを自覚的に経験していると、たとえば自分の作品がAIにクローリングされて、他の作品と一緒にミキサーにかけられて別の作品になったとしても(それが販売されたとしても)、とくにショックは受けません。「自分が人力でやってきことをコンピューターがやっているだけ」という自覚があるからです。かえって「認められた」と喜んだり、名誉に思ったりするかもしれません(作品そのものを別人の名義で公表するようなことは、もちろん論外です)。
個人的にですが、私は、先月でネット歴が40年目に突入しました。40年前の1985年に「パソコン通信」をはじめたときは、まだ日本には草の根BBSしかなく、私はアメリカのパソコン通信サービスに接続していました。このアメリカでのネットワーク体験で知ったのが「PDS(パブリックドメインソフト)や、著作権のフェアユース(公共利用)、ボランティなどでした。このうちフェアユースは、「公表された著作物は一種の公共性を持ち、著作権者に被害を与えなければ自由な使い方ができる」というものです。私が自分の著作物の扱われ方に寛容なのも、このあたりの影響があると思います。
私は、基本的に、「クローリングされるのがイヤなものは(作品も)、ネットには置かない(公表しない)」という考えです。そのため「AIのクローリング拒否」という考え方には同意できません。
このような考え方は、間違っているでしょうか?(長くなってすみません)