篠山紀信
1975年に雑誌『GORO』で歌手の山口百恵特集で使い始めた「激写」は流行語になり(1)(9)、その後の中森明菜ら芸能人や素人をモデルにした一連の激写シリーズで知られるようになる。
「懐かしさや個人的思い入れはあったとしても、それらは「写真」にあらわされるものではないし、その思いも見る者に伝わることはない。「私的」なことを表現したければ、「文学」でやればいいのだ」と篠山は語っている 「僕は60年ずっと、休みなく写真を撮り続けているし、写真のタイプも表現方法もテクニックも、テーマごとで全部違う」
1991年には女優の樋口可南子をモデルにした写真集『Water Fruit 不測の事態』で事実上、陰毛を解禁させ、続けて同年に出版した当時トップアイドルだった宮沢りえのヌード写真集『Santa Fe』は新聞に出した全面広告が評判を呼び、ヘアヌードブームを巻き起こした