社会党
旧社会党は、いわゆる「55年体制」自民党55年体制のもと、保守勢力の自民党に相対する革新勢力として、野党第一党の座を占めてきた。 1986年に、初めての女性党首として委員長に就任した土井たか子は、3年後の参議院選挙で、女性候補を次々と擁立して「マドンナ旋風」を巻き起こし、自民党を過半数割れに追い込んだ。 1993年の「非自民連立政権」の細川内閣に参画したあと、
翌1994年の自民党、新党さきがけとの「自社さ連立政権」では、党首の村山富市が総理大臣に就任した。 しかし、保守勢力との連立政権で、自衛隊を合憲と認めるなど、旧社会党の政策を転換させたことで党内の求心力は急速に低下
ステークホルダーが多くなって支持者のコアな価値を毀損
1996年、村山総理大臣が退陣し、党名を社民党に変更した。 村山のあと、再び党を率いることになった土井は、福島や辻元清美をはじめとした次世代を担う女性議員を多く誕生させるなどして党の再建を目指したが、退潮傾向に歯止めはかけられなかった。 2003年に土井からバトンを受け継ぎ、10年間党を率いたあと、2020年から再び党首を務めた。
この間、福島は党是である「平和と護憲」の立場を徹底して貫いた。
2020年、立憲民主党との合流をめぐって、事実上分裂し、国会議員は4人から2人に。党員は全体の3割が離党した。
党幹部は、こう振り返る。
「社民党になって以降、党勢が上向いていた時期なんてない。ずっと崖っぷちだ」