真野毅
第一高等学校に入学した当時、校長の新渡戸稲造から「リンカーンは、アメリカの大統領になって奴隷解放を成し遂げるために弁護士の道を選んだのだ」と聞き、その伝記をむさぼり読んで、自らも同じ道を歩むことを決めたという 昭和25年10月11日大法廷判決
尊属殺の刑法の意義についての多数意見
「夫婦、親子、兄弟等の関係を支配する道徳は、人倫の大本」であるから「原判決が・・・親子の間の自然的関係を、新憲法の下において否定せられたところの、戸主を中心とする人為的、社会的な家族制度と混同した」と批判し、刑法第205条第2項の規定は、新憲法施行後の今日においても、厳としてその効力を存続すると結論づけた
真野は、「しかし、ソレ親子の道徳だ、ヤレ夫婦の道徳だ、それ兄弟の道徳だ、ヤレ近親の道徳だ、ソレ師弟の道徳だ、ヤレ近隣の道徳だ、ソレ何の道徳だと言つて、不平等な規定が道徳の名の下に無暗に雨後の筍のように作り得られるものとしたら、民主憲法の力強く宣言した法の下における平等の原則は、果して何処え行つてしまうであろうか、甚だ寒心に堪えないのである。」と述べて、尊属殺に関する規定は違憲だとの少数意見を付した。 この真野少数意見に対して齋藤悠輔は「補足意見」で「民主主義の美名の下にその実得手勝手な我侭を基底として国辱的な曲学阿世の論を展開するもので読むに堪えない」と言った。 後に、第二東京弁護士会広報委員長が「斎藤先生と灰皿を投げ合って論争したというのは本当ですか?」と聞くと、真野は「そんなことはしない。六法全書を投げ合ったんだよ」と答えたという(4)
それに比べて斎藤の意見は上の部分では論理性のかけらもない単なる罵倒であり、Twitterに投稿するような類の文である。判決文に書くようなものではない基素.icon
原文はp.15から
定年退官後の1973年4月に最高裁大法廷が尊属殺重罰規定について違憲判決を出した際は、「判決の批判はしたくない。けれど、これでは親孝行しなくてもいい、というような風潮に世の中がなるだろうと思う」と述べた(3)。
刑罰があるから親孝行を仕方なくする人がたくさんいる前提じゃないと、こういう考え方になりようがないではないか基素.icon
そしてその前提はおそらく誤っている
まあ逆に言えば20年判決は変わらなかったので、そう考えている人が多数派だったってこと
判決は時代の写し鏡
刑法で道徳的価値観を作ろうという考え方が嫌いだ
最も大きな理由は、個人の尊重(13I)に反していること
憲法の最も重要な条項であり、わたしも心からそう思うところである
他の理由
法的安定性を乱す
曖昧で恣意的な運用の余地を大きくする
『鶴と亀』(広済堂出版 1967年).
亀の話ばかりだ