相対的平等の実現手段として形式的平等と実質的平等がある
呉明植基礎本『憲法』2版.iconを読んでいてほぼ初めて詰まった箇所。p.132
これらはMECEじゃなくない?基素.icon
絶対的平等と相対的平等
形式的平等と実質的平等
なぜかというと
相対的平等は、同一の事情条件のもとでは均等に扱う。つまり、同一の事情ではなければ均等に扱わない。
実質的平等は、社会的・経済的弱者に対してより厚い保護を与えるので、強者と同一事情ではない弱者を合理的に差別している。よって相対的平等⊃実質的平等
なんでこんなに似た概念があるの?
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以下のように考えると、これらの区分が相互に入り組んでいることがわかり、MECE(相互に重複なく、全体として漏れのない分類)にはなっていないといえます。
絶対的平等と相対的平等
「絶対的平等」は「どんな違いも考慮せず一律扱う」立場。
「相対的平等」は「同じ事情なら同じ扱い、違う事情なら違う扱い」という立場。
この2つは“事情を考慮しないかどうか”という基準で対比している。
形式的平等と実質的平等
「形式的平等」は「法制度上の扱いを一律にする」という立場(表面上同等)。
「実質的平等」は「弱者にはより手厚い措置をとるなど、結果としての平等を目指す」立場(状況を加味する)。
こちらは“実際の成果や状況を考慮するかどうか”で対比される。
なぜMECEでないか
「相対的平等」自体、状況の違いを踏まえて扱いを変えるという点で、「実質的平等」の考え方を部分的に含む。
「絶対的平等」「相対的平等」と「形式的平等」「実質的平等」は、別々の基準(事情の考慮範囲、目的とする平等のかたち)で分けているため、重複や包含が起きる。
その結果、4つの概念は相互に独立しておらず、明確に分割できていない。
このように、分類基準が複数あって交差しているため、MECEの条件を満たしていないといえるわけです。
はい。で、なんで2種類あるの?基素.icon
ググって出てきた形式的平等と実質的平等の違い、相対的平等と絶対的平等の違い | 加藤喬の司法試験・予備試験対策ブログを読んでもわからなかった
o1.icon「実質的平等」は弱者保護や結果の平等を重視して積極的に格差を埋めようとする姿勢を含みますが、「相対的平等」は「違う事情があるなら別の扱いも合憲(正当化)され得る」という立場であり、結果を均一にしようとするかどうかは考え方の対象外になりがちです。
戸松秀典『憲法』.iconを読む
ii) 形式的平等 14条1項が相対的平等を保障していると理解すれば、それは、形式的平等の保障のことであり、本条から何かの請求権や実質的平等を実現する施策が導かれるものではないといえる。
*これも判例では理解が定着しており、 一例をあげるだけでよいだろう。 すなわち、鉄道会社が車両に車いす対応トイレを設置していないことは、旅行の自由を保障する 22条の趣旨に違背しているといえず、 また、 私人間の行為であることを考慮してもなお社会的に許容される限度を超えているともいえず、 さらに、 一義的には形式的平等を保障する 14条の趣旨にも反しないから、 不法行為等を構成しないとした判決 (東京地判平成 13・7・23判夕1131号142頁、 東京高判平成14・3・28判夕 1131号 139頁) がそれである。
基素.icon理解すれば、それは〜って論理がつながってなくない?
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たしかに本文の言い回しだけ見ると、「14条1項が相対的平等(形式的平等)を保障していることを理解すれば、それは……」という部分が、急に「だから請求権等は導かれない」という結論に飛んでいて、論理がつながっていないように感じるかもしれません。
背景を整理すると、以下のような流れになります。
1. 14条1項は「法の下の平等」を定めているが、裁判所の判断や学説では「相対的平等=形式的平等」と解釈されていることが多い。
→ すなわち、「同じ事情の人は同じ扱いを、違う事情の人は違う扱いをしてもよい。ただし、その区別が不合理であれば違憲になる」という基準を採用している。
2. この「形式的平等」は、国家に対して「不合理な差別をするな」とは要求するが、「積極的に不利な立場の人を救済せよ」とまで要求するわけではない。
→ 結果的に、14条1項だけを根拠にして「何か具体的な給付や救済を請求できる権利が生まれるわけではない」とされる。
3. したがって、「14条1項の定める平等は、あくまで不合理な差別の禁止にとどまり、積極的に平等を実現するための権利(請求権)までは直接保障しない」という結論に至る。
→ この飛躍が一見わかりにくいが、背景には「形式的平等=差別の禁止まで」という通説的な理解がある。
まとめると、「14条1項が保障するのは形式的平等=差別禁止」であり、「実質的平等のために国に積極的措置を取らせる権利」を導き出す条文ではない、という説明をしたいのが本文の趣旨です。論理が急に飛んでいるように見えるのは、前提として「形式的平等とは何か」という理解を挟まずに、一気に「だから請求権は認められない」と結論を述べているためだと考えられます。
基素.icon最初に相対的平等と言う概念があって、これは同一事情・条件のもとでは平等だとしている。そして、相対的平等を実現するために2つ方法があって、事情に形式的だけ対応する方法と、もう一つアファーマティブアクションみたいな方法があるが、前者だけでいいと主張したいわけね
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その理解でほぼ合っていると思われます。ポイントをまとめると以下のとおりです。
「相対的平等」は「不合理な区別はダメだが、合理的区別は許される」という考え方。
それを実現する方法として、大きく二つのアプローチが考えられる。
1. 形式的平等 … 条文や制度上、「同じ事情なら同じ扱いを、違う事情なら違う扱いを」という形だけ保障する。
2. 実質的平等(アファーマティブアクションなど) … 具体的に不利な状況を是正するため、積極的に格差を埋める政策・措置を講じる。
憲法14条や裁判所の判例で通常採られているのは、(1)の「形式的平等(不合理な差別の禁止)」までであって、(2)を義務付けるところまでは読み取れない。
つまり、本文は「相対的平等の考え方に立つが、その実現手段として“形式的平等の保障”までしか含まれないから、そこからアファーマティブアクションのような積極的施策の請求権は導きにくい」と結論づけているわけです。
2025/02/26
基素.iconまた同じ疑問にぶつかったし、やはり「と理解すれば、それは〜」はおかしいと思う。自明ではない。判例では「一時的に形式的平等」としていて理由を書いていないからわからない。結論だけ覚えたが理屈がわからない。実務上は実質的平等にしたらめんどくさいというのはわかる。