白色革命
https://www.y-history.net/appendix/wh1603-093.html
国際石油資本による石油資源の支配、社会改革の遅れなどからイランの経済的困難は強まり、また専制政治のもとで腐敗が進行する中、アメリカの要請もあり国内改革を迫られたパフレヴィー2世は、
「白色革命」プログラムを国民投票にかけ、63年に90%の賛成(政府の不正介入による)で実行に移した。
土地改革(農耕地の分配、森林国有化)、女性参政権、労働者への利益分配、国有工場払下げなどの6項目からなる
一方議会は停止され、皇帝の独裁的な権限はさらに強化された。この強制的な改革に反対する学生運動やシーア派法学者の運動が起こり、各地で民衆の蜂起があったが厳しく弾圧され、その指導者ホメイニは逮捕され国外追放となった。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/白色革命
JFK政権の改革要求
王政のイランは第二次世界大戦でナチス派だったのでイギリスやソ連に反発され退位
なぜ?基素.icon
王の長男のパフラヴィー2世が国王になった
パフラヴィー2世はアメリカやイギリス派だったので、国内の民族主義勢力が反発し失脚
1951年、民族主義者のモサデグが首相に就任
国王と首相ってちがうの?基素.icon
モサデグはイギリスが持っていたイランの石油利権を国有化しようとした
1953年、米CIAなどの工作によりイランでクーデタが発生。モサデグ首相が失脚し、パフラヴィー2世が再び実権
当時は東西冷戦下でもあり、パフラヴィー2世はアメリカに接近。イランは1955年に結成された反共軍事同盟「中東条約機構(METO)」に参加しました。アメリカとしても、イランを中東における“反共の砦”にしたかったわけです。
https://www.businessinsider.jp/post-205442
インフレも急ピッチで進み、庶民を苦しめ失業者が増大し、貧富の格差が増大した。大規模な汚職も横行し、オイルダラーを狙った商社から王室周辺や政府高官へ賄賂攻勢が行われた。
文盲率の高かった当時のイランはそもそも近代化の基礎構造を欠いていて、改革の恩恵は一部の市民にとどまった。
識字率が低い
石油価格の暴騰で政府には金が有り余り、投資ばかりが先行した。こうした状況で国王はイラン軍の整備を進め、米国から大量の兵器を購入する。