玉木雄一郎
https://youtu.be/xD6EEYGJOSw?si=cc55KQIeVj1p4Kpc
安心してやめる環境
企業側にオプションを与える
給与のブラックボックス
1995年(平成7年)、アメリカのハーバード大学ケネディ・スクールに留学。1997年(平成9年)、同校よりMPA取得。
1998年(平成10年)、大蔵省接待汚職事件が発生。この事件を目の当たりにしたことと留学の経験が政治家を志す契機となった(9)。 外務省への出向(中近東第一課)を経て、
2001年(平成13年)より大阪国税局総務課長。
2002年(平成14年)より内閣府へ出向(12)。第1次小泉内閣にて、行政改革担当大臣の石原伸晃の下で秘書専門官に就任(13)。以降、累計3代の同大臣の秘書専門官を務める(14)。
第2代大臣の金子一義から「政治家にならないか」と誘われ、自民党幹事長(当時)の安倍晋三と面談した。しかし同党は玉木の地元である香川2区には既に別の国会議員を擁していたため、安倍は別の小選挙区からの立候補を提示した。玉木は「国政に挑戦するなら、先祖の墓のある場所でやりたい」と考え、出馬を断念した(9)。