死者を背負う
という考え方がある
問: なぜ背負わなければならないのか?
/villagepump/2023/04/26#64497b3faff09e0000842b3d
呉明植基礎本『憲法』2版.icon p.37
フランスでのナシオン(nation)は抽象的な国民で代表民主制が採用される
cf. プープル peupleは社会契約の相対=具体的な実在の有権者
基素.iconナシオン主義と関係しそう
OpenAI o1.icon
「ナシオン(nation)」はしばしば「過去から未来へ連続する共同体」としてとらえられる。
歴史を共有し、先人たちの記憶や功績、あるいは痛ましい失敗の経験まで含めて背負い続けることで一体感を形成する。
したがって、すでに亡くなった人びとの遺産を今を生きる人が引き継ぎ、未来へ受け渡していく、という発想が根底にある。
「死者を背負う」という考え方も、まさにそうした“過去の人びととともにある”という発想に近い。
中島岳志の議論(『自分ごとの政治学』第四章など)では、「立憲主義」と「死者との協働」が結びつけられて語られている。
立憲主義は「先人たちがつくりあげた憲法(ルール)を、たとえ現在の多数が別の意見でも一定の範囲で尊重する」という要素をもつ。
これは「死者(過去の知恵や失敗)を無視しない」という意味で「死者を背負う」発想とつながっている。
同様に、ナシオン(国民国家)概念も「同じ歴史や文化、伝統を共有する集団」という捉え方をする場合が多い。
歴史上の偉人や戦死者への追悼・顕彰がナショナル・アイデンティティを支えることもある。
こうした構造は、「今を生きる人々だけの多数決」ではなく、「亡くなった人々が残した知恵や苦難の記憶も、共同体の重要な要素として扱う」という点で、「死者を背負う」姿勢と共通している。
要するに、「死者を背負う」ことと「ナシオン」は、どちらも「過去の世代から受け継がれたものを現代の人間が抱えて生きていく」という発想を含んでおり、深く関係しているといえる。