東京大空襲(1945年3月9日夜)
東京の区部が被害を受けた空襲は60回を越えます。確認された死者の遺体数は約10万5400人になります。
負傷者は約15万人で、罹災者は約300万人、罹災住宅戸数は約70万戸です。
焼失面積は約140㎢で、区部の市街地の約50%、区部面積の約25%に当たります。
三多摩や伊豆諸島・小笠原を含む東京都全体では、空襲は100回を越えています。
東京大空襲は、第二次世界大戦の連合国による植民地・占領地も含む日本空襲の一環です。東京への本格的な空襲は1945年3月10日の下町への大空襲を境に区分されます。
遺族から「戦災者慰霊塔」を建立したいという要望があったものの、都として応じない方針が書かれています。
その理由として挙げているのが、GHQの指導方針。
「日本國民に戦争を忘れさせたいのである」
「戦災者慰霊塔建立について」(東京都文書 昭和22年渉外関係)より
GHQの意向をこのように都は受け止めていたのです。