暗記をしてから理解する
暗記をしてから理解する
暗記をしてから取り出せるようになって、使っていくうちに理解が進むこともある
理解に至るまでには時間がかかるが、理解するまで使えなければ何もできなくなってしまう。人生は短く、理解していなくても使わなければならない場面がたくさんある
私にとって理解せずに使うのは苦痛だが、ある種それがコンフォートゾーンになっているのでは?
丸暗記がダメという例によく馬鹿みたいな丸暗記した人の逸話が出されるが、そんな丸暗記ができるとは思えない
書いた後にたまたま同じ話題を見つけた
@yukio_okitsu: 拙著『行政法Ⅰ』18頁では、内田貴『民法Ⅰ』のこの部分の記述(東京大学出版会のウェブサイトで閲覧可)を引用して、行政法学習における理解と暗記について書いた。 https://pbs.twimg.com/media/GrXuRnFbAAE2GtM.jpg/
民法の入門書の古典といえる我妻榮博士の 『新版民法案 暗記か理解か内』の第1巻「私法の道しるべ」の冒頭は、 「法律を学ぶには,暗記しないで,理解しなければならない」 という項目から始まる。
このことは,今日でもしばしば授業等で指摘されるし, 私自身もそのように教わった.しかし, 法学の勉強が外国語の学習にたとえ得るなら, 暗記せず理解せよ, というアドバイスはやや奇異である. 外国語の勉強に, 暗記せず理解せよ, などと助言する人はいないだろうからである.
実際には,法学の学習に 「記憶する」 という要素は不可欠である. 民法の学習だけでも、膨大な量の概念や原則・ルールを記憶しなければならない。 優れた法律家の少なくともひとつの要素は,現実の問題に直面したとそれに関連する法的情報をどれだけ多く的確に記憶しているかにあるとさえいえる.
ただ,初学者にとって重要なのは、やみくもに何でも覚えればよいというものではなく, 何を記憶すべきかを正しく選択しなければならないということである. 暗記せずに理解せよ, といわれるとき,よく挙げられるのは,法的概念の定義を暗記したり, 条文の文言を暗記することには意味がない,ということである.もちろん,国家試験の受験のためには,それらの暗記が必要となることもある. しかし, 初学者がいきなりそのような暗記に労力を費やすのが有益ではないというのは,全くその通りであろう.
重要なのは,適切な情報を,その内容を十分理解したうえで,適切な順序で記憶することである. そのためにも, そのような配慮のゆきとどいた教科書が必要である.
何をどう暗記すればいいのか書いてあるテキストを見たことがない基素.icon