尾を切るコスト:数式多めの注釈
私はまず、彼の「医者をはねる」映像を、確率変数に落とす。
損害額を $ L(円)という確率変数とする
保険をかけないときの目的は、ざっくり言えば"破綻(生活崩壊)”の確率を十分小さくすること
破綻ラインを W(あなたの資産・収入・回収され方を含む実効的な耐久値)とする
すると恐れているのは $ P(L>W) だ
「君が欲しいのは、無制限そのものじゃない。本当は $ P(L>W) を小さくしたいだけだ」
無制限教の巡回者が肩をすくめる。「だから無制限にすればゼロだろう?」
「ゼロにはならない。まず“無制限”は $ L を直接消す魔法じゃない。実務では支払いには条件も摩擦もある。でも今はそこは置く。君が言いたいのは“上限を大きくすれば破綻確率が下がる”だろう」
上限を C(1億、2億、無制限)とする。保険でカバーされると仮定すると、あなたが負うのは $ (L-C)^+(注釈:$ (x)^+=\max(x,0)\text{)})。破綻確率は $ P((L-C)^+>W)。これは同値に$ P(L>W+C)だから、上限Cを上げるほど、破綻下がる。
「ここまでは君の言う通り。でもここで止まる人が、だいたい無制限教に入信する」
巡回者がむっとする。私は続ける。
「問題は“どこまで上限を上げれば十分か”だ」
「上限を上げると破綻確率は下がる。しかし保険料は上がる。保険料は確率じゃなくて毎月確定であなたを殴る」
月額増分を k とすると、年間で $ 12k。確率1で発生する $ 12k の損失。“いつでも確実に起きる損害”だ。
「だから意思決定は結局こうなる」
上限を上げて下がるのは 尾部確率(レアイベント)
上限を上げて増えるのは 確定損失(毎月の保険料)
ここで初めて、線引きの問題が生まれる。
「君の反論はこうだね。『月+二千円は小さい。だから無制限が正しい』」
私は首を横に振る。
「“小さい”は比較が必要だ。何と比較するか? 尾部確率がどれだけ下がるかだ」
つまり、「上限1億」と「無制限」の違い(追加で削れる破綻確率)は
$ \Delta= P(L>W+1億)-P(L>W+\infty)
になる。
理想化では、無制限側は自己負担がゼロなので後者は0だから、結局$ \Delta\approx P(L>W+1億)になる
「要するに、月+二千円は($ P(L>W+1億)) を削るために払ってる。削ってるのは“1億を超える”じゃない。“あなたの破綻ライン W を超えた上で、さらに1億を超える”という、もっと薄い尾だ」
https://gyazo.com/1bf1955c3f540bee666c7e5eebb3a625
彼が言う。
「でもその確率がゼロじゃないなら……」
私は頷く。
「ゼロじゃない。だがゼロじゃない、だけでは何も決められない。ミサイルもゼロじゃない。隕石もゼロじゃない。ゼロじゃないを根拠に買い始めたら、保険は人生を食い尽くす」
無制限教の巡回者が、ここで急に元気になる。
「ほら見ろ!だから全部買え!」
「それが停止条件のない論理です」
「君がリアルに想像できるのは、事故の映像だ。でも私が見ているのは、分布の尾だ。映像は鮮明でも、尾は薄いかもしれない。そして“薄い尾”を削るために毎月二千円を払い続けるのは、合理性の問題ではなく、好みの問題になる」
無制限教の巡回者は、パンフレットを胸に抱えて後ずさった。
私は湯呑みを持ち上げ、静かに言う。
「一億で事故が箱に収まるなら、それで切断は完成している。無制限は箱を大きくするんじゃない。箱の外側の影$ \Deltaに、値札を貼って売っているだけだ」
路地の向こうで、風鈴が鳴った。