寺脇研
東大法学部卒業後、75年に文部省入省。
92年、文部省初等中等教育局職業教育課長に就任、中学での業者テストと偏差値による進路指導を追放し、ミスター偏差値の異名を取る。
その後、高等教育局医学教育課長、生涯学習局生涯学習振興課長、大臣官房政策課長、大臣官房審議官生涯学習政策担当を経て、2002年文化庁に転出して文化部長になる。
06年3月末、退職を準備していたところ、小坂憲次文科大臣に特命を受けて文科省に戻り、大臣官房広報調整官。同年11月、退官。
文部科学省時代はスポークスマンとして、精力的に教育改革に取り組み、ミスター文部省といわれ、文化の面から鋭い社会批評などを行っていた。 現在は、京都造形芸術大学映画学科教授として教鞭をとる一方、教育から映画・落語評論まで、多岐にわたるジャンルで活躍している。
官僚時代にはゆとり教育の広報を担った、ゆとり教育推進者の一人 1965年、ラ・サール中学校に首席合格
1971年にラ・サール高校を卒業後、高校卒業時の成績は250人中230番台であったが、卒業式では卒業生総代として答辞を述べた。その内容は
中学から入った150人の生徒は、卒業時は120人になった。成績の悪い生徒を追放して実績をとる。それでもこの学校を素晴らしいと言えるのか。
というものだったため、翌朝の地元紙には「造反答辞」と報じられた。
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高校卒業後は現役で東京大学に入学、法学部に進学した