宣伝は大事
宣伝だけをすればいいということでは一切ない
ものの良し悪しを評価するプロセスには少なくとも以下の2フェーズは存在している
1. 興味を持って体験する
2. 体験が良ければ継続して興味を持つ。悪ければさる
宣伝は1、いいものは2に対応している。両方大事。
もし宣伝が大事でないとすると
なぜTVのCMが未だに打たれている?
なぜ選挙カーは走る?
FacebookやGoogleは広告の会社である
なぜ多くの会社に営業がいる?
知らないものは注目しようがない
いいものをつくっても、知ってもらえなければ知らない人にとっては無いものと同じ
知ってもらっても良くないものなら使われない
「いいものをつくって」「知ってもらう」の両方が必要
思考実験
めちゃくちゃいいものを作っているが宣伝しないAさんと、そこそこのものを作っているが宣伝をたくさんしているBさん、どちらに仕事が行くでしょう?
ほとんどの人にとってAさんは存在していないので(そんな人がいるということはわからないから)、Bさんに仕事が入るでしょう
個人創作のリソースは作品に注ぎ込まれる傾向がある(ソースは自分)
個人で創作活動をしていると、「いいものをつくる」ことに注力するため、「知ってもらう」の部分がかなり弱くなる
宣伝というのはなにか気恥ずかしい感じがする
お金にがめつく思われそうとか、そういう事を考えてしまう
ある面では仕方ないけれど、「いいもの」のクオリティを多少落としてでも「知ってもらう」にコストを割いたほうが最適行動になる場合がある 作りたいから作っているのか、売れたいから作っているのかという意識で違う
ある程度大きくなると売れることを目指すのでバランスがとられるようになる
Twitterができて、個人の拡散力が上がった結果昔よりやりやすくなっている Twitterは個人クリエイターができる「割の良い」広告塔
Twitterが潰れると困るクリエイターはとてもたくさんいるはず
pixivなどのクリエイター向けのサイトのランキングは広告と同じ価値がある
作品がそのまま広告になる
ただし、作品以外のところでも広告を打つことはできる
コミュニティで仲間を作って宣伝するとか