宗教と同性愛
イスラーム教(以下、イスラム)の聖典クルアーン(以下、コーラン)は「ルートの民」として男色者を描いている。ルートとは旧約聖書に登場するロト(編集部注:人名)であり、ルートの民とはソドムとゴモラ(編集部注:いずれも地名)の民のことである。ソドムとゴモラでは人々は「淫行にふけり、不自然な肉欲に走った」ゆえに神の怒りを買って滅ぼされてしまう。ここでいう淫行や不自然な肉欲が具体的に何を指すのか、聖書は明示していないが、一般的には男色と解釈されることが多い。イスラムでもこの話は踏襲されており、男色が許されないことの根拠となっている。 性同一性障害については、サウジアラビアやイランなど、シャリーア(イスラム法)の影響が強い国でも、その存在を認めており、セラピーや性別適合手術を受けることを合法だとしている。しかし、これは逆に言えば、性別適合手術を受けない状態で、生まれながらの性とは異なる行動(例えば異性装=男装、女装)を取るのは違法だということになる。 誤解を恐れず、至極単純化して言えば、イスラムでは神が人間を男性と女性に創造したと考えられており、その「間」やその「外」は認められない。今日、ムスリムが多数を占める国でもLGBTQを合法とする国はある。だが、たとえ違法ではなくとも、LGBTQではない人たちの多くがLGBTQを異常であり、病気だとみなしているのは否定できない。
基素.iconキリスト教では?
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キリスト教においても伝統的な解釈では、神が男性と女性を創造したとされています。
歴史的にはキリスト教の多くの教派がLGBTQの存在を認めず、その行動を罪と見なすことが多かったです。
しかし、現代ではキリスト教の中にも多様な意見が存在し、LGBTQを受け入れる教派も増えています。
例えば、米国聖公会や一部のルーテル教会は、同性婚を認めたり、LGBTQの牧師を受け入れるなど、積極的な支持を表明しています。 キリスト教国の中には、LGBTQの権利を法的に認識し保護している国もありますが、依然として保守的な見解を持つ地域や教派も存在します。
この問題に対するキリスト教徒の意見は、国や教派、個人の信念によって大きく異なるため、一概には言えません。