土佐日記
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男もすなる日記というものを女もしてみんとてするなり
平安時代では男性が漢字を、女性はひらがなを使っていたというのは知ってのとおりだ。それによってそれぞれの社会的役割が明確になっており、誰がどの情報にアクセスできるか、誰とコミュニケーションできるかということが決まっていた。
和歌は男女ともに仮名文字を用いていた
島谷:貫之が“女”に仮託して『土佐日記』を書いたということで言えることとしては、普通だったら朝廷の公式文書のように「変体漢文」で書くべきところを、貫之は『古今和歌集』の撰者にもなった人ですから、和歌文学の考え方として、随筆的なものを日本語、大和言葉を使って表現したかったという意向があったんだと思います。