写ルンです(1986)
VRChatでストロボ直当てっぽく写真を撮る|MANE
https://youtu.be/7jzAilerbD0?si=h9DxMSaugqwk8TZ4
https://ja.wikipedia.org/wiki/写ルンです
背景
日本では、それまで右肩上がりだったフィルム・スチル・カメラの普及率が、1978年に80%を超え飽和の状態となると、写真フィルムの消費も横這いとなった(4)。特に110フィルムの普及が芳しくなく、富士写真フイルムは新たな需要喚起策を必要としていた(5)。
そこで、成形技術の進化により安価なプラスチック製レンズの量産化に目処がついていたことや、天候等の撮影条件に左右されない高感度・高画質のカラー・ネガ・フィルムが製品化していたことなどから、110フィルムを用いたレンズ付きフィルムの開発に着目した(6)。
レンズ付きフィルムの構想は、1961年、1965年及び1974年に検討されたが、技術的な問題で実現できていなかった(7)。
1980年5月に、感材部長を長とする総勢8名の作業班(注 3)が組織され、手振れに対処するためのシャッター速度や、ピンボケを抑止するための絞り値など、誰でもカラー・ネガ・フィルムの性能を引き出せる仕様を割り出していった(注 4)。
1986年の発売から度々改良が加えられ、世代は七つに及ぶ(8)。その間、撮影者の技量を補うために、またカメラとしてのスペックを補うために、カラー・ネガ・フィルムの進化を著しく推し進めることとなり、ジョージ・イーストマンが1888年に掲げた“You Press the Button, We Do the Rest. (1888)” を「写ルンです」が実現することとなった(13)。
発売当初は、現像後の本体は廃棄していたが、1990年5月に回収を始め…1992年には、部品の再利用に考慮した設計の「写ルンです エコノショット」を製品化し、再利用可能部品比率を5%から70%に増大させた。...1998年には完全自動化工場の稼働するに至り、循環生産を完成させた(16)。
2010年に世界累計出荷本数が1,700,000,000本に達するが、日本での年間出荷本数は1997年がピークで、以降は減少に転じた(13)(18)。写真フィルムの市場そのものが、2000年からの10年で10分の1にまで縮小した
が、レンズ付きフィルムを求める者は少なからず存在し続け、今日(注 6)に至っても、第七世代のフジカラー「写ルンです シンプルエース Flash27」のみとはなったが、販売は継続されている(19)(20)。
製品名は、開発途中の会議で(きれいに)写るのかと問われ、(きれいに)写るんですと答えたことに由来する(注 5)(5)。
1986年7月に発売すると、半年で1,000,000本、1か年で3,000,000万本を売り上げるヒット商品となった
パンフォーカスが作れる設定になっている
SS 1/160 ISO 400 F14
SS 1/200 ISO1600 F16
https://youtu.be/fb4Ja52JCWo?si=kZPlYF1WFCM0L0NN&t=156