ヤクザ
資料がないので歴史を書けない
明治時代に入ってから、急速な産業の発展と共に労働力が不足したことによって人手が必要となった。炭鉱や水運、港湾、大規模工事現場には、農村や漁村から屈強な男性達が集まってきた。これらの男性達の中から、体力、気力がある男性が兄貴分として中心になり、「組」を作っていった。労働者同士による諍いも多くおこり、警察の手が足りない状況であったため、いわゆる自警団的な役割を持った暴力団組織も結成されるようになっていった。
1992年に暴力団対策法が施行され、暴力団は公然の場で活動がしづらくなり資金獲得活動の変更を迫られ、堂々と組の看板を出して事務所を開くことが難しくなった。また2000年代に入り日本全国の地方自治体で暴力団排除条例の制定が進むと構成員に対する日常生活への規制も進み、構成員と判明した人物は、電力・都市ガス・水道の使用契約、公営住宅への入居や同居、生活保護や児童扶養手当の受給、銀行口座の開設、クレジットカード作成、融資の契約などを拒否されるようになった。2013年に発覚したみずほ銀行暴力団融資事件では、自動車を購入した暴力団員へのローンにかかわったみずほ銀行の会長や頭取らが辞任した 1960年代に最盛期を迎えた暴力団は勢力の減退を続け、2023年時点で全盛期の約9分の1の構成員数と準構成員数になり、その半数が50代以上と高齢化している。