ボアソナード
ボアソナードはフランスの法学者で,明治時代に日本政府が招聘したいわゆる「お雇い外国人」の一人です。彼は1873年に来日し,司法省法学校のほか,様々な学校(現在の東京大学,明治大学,法政大学など)で教育をしました。
明治初期の日本は,列強と不平等条約を締結しており,その改正交渉のために,近代法を整備することが喫緊の課題でした。このため,若い役人をヨーロッパに留学させたり,ボアソナードのようなお雇い外国人を招聘したりして,大急ぎで法典の編纂を行っていたのです。ボアソナードは,法典編纂の中心人物として,旧刑法,治罪法(現在でいう刑事訴訟法),旧民法の起草をしました。
ボアソナードが編纂した旧民法は,日本には合わないとの意見が出され,国を挙げての議論となった結果,施行されずに終わったのです(民法典論争)。この民法典論争では,反対派の学者から「民法出でて忠孝亡ぶ」という有名な意見が出されるなど,特に家族法の部分が日本の家父長制度に合致しないとして,批判がされました。