ヒルの脳髄学者
あの中に、ツァラトゥストラは非常に奇妙な人物に出会うわけだが、それは沼の中をはい回っている人である。その人が何をしているのかと見ると、ヒルが体じゅうについているので、あなたはヒルの研究者ですねというふうにツァラトゥストラが言うと、その先生は、「とんでもない、私はそんな大それたことはしておりません。私がやっておりますのはヒルの脳の研究です。ヒルの脳の研究については私はだれの追随も許さないけれども、それ以外のことについては私は全く関心がない、したがって私の深い知識の周りには茫漠たる無意識が存在しているのだ。」ということを言う。
これは、ニーチェの時代にはそういう人は非常に奇特な人だったので、したがってツァラトゥストラでは、これはニーチェはいわゆる超人、“Uber Mensch”ではないのだが、それに達する可能性のある“Hoch Mensch”の1人としてこの人を数えているわけだが、今はそういう“Hoch Mensch”が非常にふえてしまって、永遠に“Uber Mensch”になれない“Hoch Mensch”がこの世界に充満している。そのことによってお互いに共通の基盤というのを失ってしまっているということがある。
かけあわせがないと価値創造が難しいが、専門に閉じこもってしまいがちという指摘 これは確かにこれからの科学技術にとっても最大の脅威ではないかと私は思っている。(略)我々科学技術関連の者は盛んに深掘りをして、周りのことは全然見えなくなってしまった結果であるかも知れない。
謙虚な態度が完璧主義を生んで弊害があるという指摘
ヒルの脳髄学者は善良な学徒たろうとしている
要素還元主義の慣れの果てとしてのヒルの脳髄学者
ヒルの脳髄学者は、ヒルの脳髄以外のことを知ろうとしない
「現実のヒルの脳髄学者は、人間のことについて口を出してくる」