キュビスム
それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めた
1907 Les Demoiselles d'Avignon by ピカソ https://gyazo.com/f1a4da9fd8a998dd4508f420cb6ecf19
この絵をピカソはごく一部の友人にだけ見せたが、反応は芳しいものではなかった。アンリ・マティスは腹を立て、ブラックは「三度の食事が麻クズとパラフィン製になると言われたようものだ」と言い、アンドレ・ドランはピカソがそのうち首を吊るのではないかと心配したという。
しかしブラックはピカソの仕事の重要性にすぐに気づき、ひそかに『大きな裸婦』(1908年)を描いてそのあとを追った。そしてポール・セザンヌゆかりのエスタック地方に旅し、『エスタックの家』をはじめとする7点の「セザンヌ的キュビスム」の風景画を描き、1908年秋にダニエル=ヘンリー・カーンワイラー(英語版)の画廊で公開した。
遠近法無視立体かと思ったらそうでもない
多くの識者は前期と後期に区分できるとしており、前期とは第一次世界大戦前の1911-14年の「結晶形や鋭角的な幾何学系で、多角柱形、多角錐形のモチーフ」を多用したキュビズム建築であり、後期とはチェコスロヴァキア共和国建国後の1918-25年の「明るい彩色の施された民族的モチーフである円柱や円弧」を多用したロンド・キュビズム建築です。なお、この後期のロンド・キュビズム建築様式は、キュビズムと区別してアール・デコだとの説もあるとのことです。