カップヌードル
https://www.youtube.com/watch?v=UGjtCTjEm5Y
My mind is blown
https://ja.wikipedia.org/wiki/安藤百福
1966年(昭和41年)、視察のために訪れたアメリカ合衆国で新商品開発のヒントを掴んだ。あるスーパーマーケットへチキンラーメンを持ちこんだところ、麺を入れるどんぶりがなく、相手は紙コップの中にチキンラーメンを割ったものを入れ、湯をかけてフォークで食べた。
それを見て欧米人には箸とどんぶりでインスタントラーメンを食べる習慣がないことを改めて認識し、カップに入れてフォークで食べられるインスタントラーメン、カップヌードルの開発に着手した
アメリカ市場向けの商品だったのか基素.icon
開発において最も苦労したのは、カップの中に入れる厚さが約6センチメートルの麺の固まりをいかに均一に揚げるかということだった。固まりのまま揚げると中まで油熱が通らないため、バラバラにした麺を揚げると油熱の通った順に浮き上がってくること利用し、バラバラにした麺を枠型の中に入れて揚げ、先に浮き上がった麺が後から揚がった麺に押し上げられてカップと同じ形状に固まる仕組みを編み出し、均一に揚がった厚さ6センチメートルの麺の固まりを作り出すことに成功した
カップヌードルの需要が爆発的に高まるきっかけとなったのは、当時日清食品が一社提供を務めていた若者向け音楽バラエティ番組『ヤングOH!OH!』で繰り返しCMを放送した事と、1972年(昭和47年)に起こったあさま山荘事件(1972)であった。この事件の際、山荘を包囲する機動隊員がカップヌードルを食べる姿が繰り返しテレビで放映されたことにより大きな話題を集め、生産が追いつかなくなるほどの売れ行きを見せるようになった
【あさま山荘事件50年】思わぬ副産物 「カップヌードル」が人気に - 産経ニュース
一般的な袋麺が1食25円程度だったのに対して100円と高価で、当初の売れ行きは鈍かった。そんな中、雪の山中でカップヌードルを食べる機動隊員の姿が繰り返しテレビ中継で放送されると人気を呼んだ。
機動隊員がカップヌードルを食べていたのは、用意された弁当が氷点下の気温ですぐに凍ってしまうためだった。