はじめに効率化に囚われるな
根源的な競争力は目的意識と時間投下。効率化はあと
初期は成果の質より継続量が支配的
洗練させていく中で必要となったので効率化するわけで、最初から効率化を学んでも、そのタイミングでは重要度は低いということが全然ありうる
昨日見た動画にこの例があった
https://www.youtube.com/watch?v=ghvg4PsMSlA&embeds_referring_euri=https%3A%2F%2Fscrapbox.io%2F&source_ve_path=MjM4NTE
この動画の中で安倍吉俊は手のフォルムの決めポーズを学ぶ前に解剖学的な(あるいは簡易モデルの)正しさを追及しても魅力的な絵にならないと指摘する。いくら解剖学的に正しい絵を描いたとしてもつまらない絵はいくらでも描けてしまう。
良い手の見え方のパターンを覚える→パターン以外かけないから困る→解剖学を学んでそれ以外のポーズもかけるようにする
というプロセスを推奨している
「そのパターン以外かけないのは問題」と思う人もいるかもしれないが、学習の順序にトレードオフがある。次のどちらがいいか?
先に解剖学:応用は効くが、魅力がない絵ができる。
先に見栄えがする絵のパターン:即時の魅力があるが、応用が効かない
後者のほうが第三者から見たときの価値は高い。ある程度のレベルに達して初めて価値が生まれるからだ。
また、見栄えがするほうが多くの人にとって継続意欲を喚起するだろう。
もっと自由にカッコいい絵が描きたいから、渋々書きやすい方法としてモデル化を試行錯誤するのである
解剖学モデルは魅力を教えない。魅力を知っている人が、魅力を高めるために使う知識である。魅力の出し方を知らない初心者にとって、解剖学は後回しでよい。
英文法だけを初めに学んでも英語ができるようにならないのと同じである。
子供の頃から叩き込まれた言葉がまずある。背後を通す概ねの法則(抽象化したルール)として文法が研究された。文法はだいたいの(=例外が死ぬほどある)一般法則を表す抽象ルールなので、考えるガイドとして役に立つ知識だが、先に文法を学んだからといって話せるようには決してならない。
効率化とはこのような知識である。
私ははじめから最高率の方法を探索するプロなので、自己批判でもある。続けて初めて、効率化は価値を持つ。アウトプットの速度が上がるからである。言い換えれば、継続や成果と結びつかない方法論には、意味はほとんどない。