『現代日本人の法意識』
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明治以降、日本は欧米から法制度を輸入したが、これは主に不平等条約の撤廃など外圧への対応が目的で、国内の伝統的な法意識とは乖離していた。
国内の伝統的な法意識とは、明治以前、特に江戸時代に庶民が持っていた法に対する意識や態度のことです。具体的には以下の特徴があります。
法は「お上」(権力者)が決めるもので、自分たちが作ったり変えたりする対象ではないという意識。
厳密な規則や裁判ではなく、「話し合い」や「和解」を重視し、村や地域の中で問題を自主的に解決する傾向。
土地所有権などについては、個人が絶対的に支配するものではなく、地域や共同体で重層的に共有・管理する慣習的な権利が存在した。
「家」や「家族」の枠組みを基本単位とし、個人の権利よりも家の存続や秩序を優先する考え方。
土地所有権や戸籍制度の改革など、西洋の法制度を無理に導入したため、多くの軋轢が生まれ、庶民との間に葛藤が生じた。
明治憲法は形式的な権力分立を定めたが、実質的には天皇を頂点とした国家体制が強く、「家制度」や「国家神道」など、日本独自の制度を政治的に再解釈・強化した。
昭和期に入ると治安維持法に代表されるファシズム化が進み、戦争とともに民主的要素が封じ込められ、法の支配や人権意識は稀薄だった。
第二次世界大戦後、日本国憲法により初めて基本的人権や手続的正義、法の支配などの普遍的理念が明確化されたが、それらが社会に十分浸透したかどうかは疑問がある。
戦後の法制度改革も米国主導であり、占領政策のために天皇制が温存されるなど、法や責任について曖昧さが残り、日本人の法意識に影響を与え続けている。
法学は判例によって発展する側面が大きいところ、今なお貧しい日本の憲法判例では素材が決定的に不足しているのだ。学者は、いきおい外国憲法学由来の難しい抽象論を展開せざるをえないが、何せ素材が乏しいので、その発展にも限りがある。私自身、「憲法が、人権擁護と法の支配のために、権力を厳しく規制、制限するものだ」ということを初めて実感として理解したのは、裁判官になってから留学準備のためにアメリカ法を本格的に学び始めた時のことだった。なお、アメリカに限らず、欧米諸国の憲法判例において、あらゆる人権が詳細に具体化、血肉化されている程度は、日本とは比べものにならない。