LLM時代の生き方2024
あれから1年が経ったので今の感覚で書き直してみる
書いた後の差分確認
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以前の考えから発展したものはなんだろう?
以前の考えからなくなった(重要視しなくなった)ものはなんだろう?
Claude 3 Opus.icon
以前の考えから発展したものとしては、
知識がLLMに集約されていくという予測がより具体的に述べられている。(1)
人間の役割として、LLMが知らないデータを提供することの重要性が強調されている。(2)
知識共有の文化が推奨されていない業種でのパラダイムシフトと生産性向上への期待が示されている。(3)
以前の考えと比較して重要視されなくなったものとしては、ジェネラリストの価値の低下や、学習環境の変化、クリエイティブな活動の個人プレー化などへの言及がみられない。
これは引き続き重要基素.icon
代わりに、LLMができないことをすること、非倫理的なことを考えること、AIの弱点である外挿、独創性などが新たに重要な要素として挙げられている。(4,5,6,7) これらは、LLMの発展に伴い、人間がLLMと差別化を図るための領域として認識されるようになったと考えられる。
引用
1. 知識はLLMに集約されていくだろう
2. 人間はシステムの一部であり、LLMが知らないデータを渡すという重要な役割を果たすことになる
3. 知識を共有することが文化的に推奨されているソフトウェアエンジニア業業以外の業種では、パラダイムシフトだろう。生産性が著しく高まるはずだ
4. LLMができないことをすること
5. 人間は非倫理的なこと考えるべし
6. AIの弱点は外挿
7. 独創
基素.iconこの論点をもっと発展させられるだろうか?また、穴はあるだろうか?
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この論点をさらに発展させるためには、以下のような点を考慮することができるでしょう。
LLMの発展に伴う社会構造の変化: LLMが知識を集約し、生産性が向上することで、社会の様々な側面にどのような影響が及ぶかを探ることができる。例えば、教育システムや労働市場、産業構造などへの影響を考察することが可能だろう。
大きすぎるテーマ。自分のやることではない基素.icon
人間とLLMの協働のあり方: 人間がLLMにデータを提供し、LLMができないことに特化するという役割分担をさらに具体的に検討することができる。どのようなデータが重要で、どのような領域でLLMができないことに人間が注力すべきかを明らかにすることが求められる。
倫理的な観点からの考察: 人間が非倫理的なことを考えるべきだという主張については、倫理的な観点からの議論が必要だろう。LLMが倫理的制約を持つ中で、人間がどこまで倫理的boundaries を押し広げるべきかは慎重に検討されるべき問題である。
こういうことを言ってるんだよ基素.icon
一方で、この論点には以下のような穴があると考えられる。
人間の創造性の源泉
社会的な影響の検討: LLMの発展が社会にもたらす影響について、より広範な観点からの検討が求められる。経済的な側面だけでなく、社会的な不平等やプライバシーの問題など、様々な角度から議論を深める必要がある。
こういうのは好きな人がたくさんいるので任せる基素.icon
こういう態度を取るのが良さそうだと現時点で考えたもの
知識はLLMに集約されていくだろう
会社に所属していたら、会社のLLMを育てることの圧力が高まる
いずれいなくなる上にスケールしない「人」に知識が集約されるよりも、LLMに集約される方が生産性が上がる
知識を共有しないことで自分の価値を相対的に他の社員より高めるという個人の最適解を積極的に無力化していくインセンティブが会社にいまだかつてないほど高まるだろう
知識を共有することが文化的に推奨されているソフトウェアエンジニア業以外の業種では、パラダイムシフトだろう。生産性が著しく高まるはずだ
これを嫌がる行動をする人はどうするだろうか?
逆に、企業 v.s. 個人では非対称性が強まるだろう
Adobe税のようなLLM税を払わなければ「置いていかれる」という感覚が高まるだろう
逆に、多少の金を払うことによって今まで大間違いしていたことを未然に防ぐことができるとも言えるので、専門知の民主化ととらえたい 重要になる能力は次のような能力だろう
LLMに対して仕事を定義する
事実を整理してLLMに伝える能力もこの範疇
箇条書きでも理解するようになるだろうが、事実を誤って教えることはできてしまう。誤った情報からは誤った結論が導き出される
込み入った事情を話す時にはこの能力が問われる
やりたいことがある人がどんどんやりたいことを実現できるようになるのでそうでない人との差がつきやすくなる LLMが知らないことを発見すること