2026-03-25
プロレスエロ配信者のPOPOPOでのBAN手前(配信枠の切断+警告メッセージ)になった
この現象は自分が持っている問題意識ど真ん中の現象なので整理しておきたい
問題の核心は核心は「制度が個別の文脈を無視して一律に規範を適用する限り、『文脈の中でだけ成立する善きもの』は常に犠牲になる」
自分のスタンス
様々な方向から理論化を試みるが、根底にはカオスの良さに集約されるような個人的体験があるのだと思う 他にはこのような感覚が議論の方向性を特徴づけるはずだ
あらゆる表現が存在できるべきであり、その表現は可能な限り広くあるべきだ
現実の制約を加えると「(違法でない)あらゆる表現が存在できるべきだ」
可能な限り多くのユーザーに最高のUXが与えられるべきだ
インターネット上の情報は、受信しない手段も適切に提供されるはずだ
エロはエロ、そうでないものはそうでないものと二分した場合、少年誌における乳首の表現のようなものは存在し得なくなる。そんな世界をいいと思えない。会話のジャンルは二分が比較的容易であり、トピックフォローも消費者としては有効だ。しかし、人間は二分することはできない。むしろごちゃごちゃしたものであり、それが面白い。プロレスエロ配信は、感覚としてはエロ2:面白8であり、合間をいったりきたりすること自体に面白さがある。 集客の問題と求めるものの問題
エロコメが見たい人は、過激が極まったエロ漫画を求めているわけではない。むしろ相対的な中でのエロさに一つの多様性を見出している
ToLOVEるの面白さは、成人誌では出しようがない
グレーゾーンでしか存在しえない種類の面白コンテンツが明確に存在する
それ以外のコンテンツにもスムースに接続できる総体としての体験
バトル漫画、ギャグ漫画、色んな漫画があるのが嬉しい
一つの作品の中にでもちょっとサービスシーン(別に他のシーンでもいいが、取りうる可能性が)があるだけで作品の読み味は高まる
当然それを余計でノイズに感じる大人もいる。読み手は様々だ。しかし、クリエイターが設計できるべきという点は多くの人が同意してくれるはずだ。
例:YouTubeという使い慣れて十分に早いプラットフォームの中に色々なコンテンツがあることがうれしい。このコンテンツはTwitch、このコンテンツはテレ東bizに飛んでログインして〜みたいな体験は嬉しくない。アプリの出来の問題も大きい。fladdictさんの用語で言えばフリクション。 無理やり切り分けようとすることが良くないことだという感覚を伝えるための例示
話が複雑になるため、商業的にうまくいくかどうかを一切無視する
直接危険ではない驚きは良いものだ
銃弾が飛んでくる社会は悪いものだが、言葉で喧嘩できない社会もまた悪いものだ
非対称性を解消するには?
「性的コンテンツを規制すべき」という主張は、道徳的立場として組織化しやすく、政治的にも動員しやすい。一方で「このグレーゾーンには社会的価値がある」という主張は、その価値を理解するために参与観察が必要で、外部の人間には説明しにくく、組織化のコストが極めて高い。
グレーゾーンの価値を公に主張すること自体が社会的リスクを伴う——「あのエロ配信を守れと言っている人」というレッテルを引き受ける覚悟が必要になる。
方向性
グレーゾーンの楽しさを伝える
我々は十分グレーゾーンの恩恵を受けているが、多くの人がグレーゾーンをグレーだと認識できていない可能性がある
法制化
このあたりが新規の部分で面白い整理
4.2 ゾーニングの原理——「部屋から出れば見なくて済む」
私が要求するのは「ゾーニング」とは力点が異なる概念だということがわかった。離脱可能性という独自用語をしぶしぶ導入 LLMの議論がゾーニングという用語に引っ張られて構成がゆがんだのに対話で気づいた
ゾーニングは「アダルトコンテンツは専用の場所でやればいい」という分離論と直結するが、私の問題意識はこの切り分け自体に存在する異議である
ゾーニングの語を前提にすると「ランキングで見える=ゾーニングの穴=塞がなければならない」という方向の議論になりがち。これは最終的にグレーゾーンをなくすことになる。
社会実装を考えるときわめて困難
Claude Opus 4.6.icon
立法による解決は短中期的には非現実的
立法のインセンティブ構造
法律は基本的に「問題が起きたから規制する」という動機で作られる。「規制しすぎだから規制を制限する」という法律は、立法の動機構造と根本的に噛み合わない。議員が「アダルトコンテンツの過剰削除を制限する法案」を提出する政治的インセンティブがない。票にならないどころか、「エロを守る議員」というレッテルで票を失う。3.4節で書いた「声がでかい」の非対称性がここでも作動する。
規制の対象が逆転している
通常の立法は「悪いことをする人を規制する」。離脱可能性に基づく法律は「善意で過剰に規制する人を規制する」。プラットフォームは違法行為をしているわけではない。自社の利用規約を自社のサービスに適用しているだけ。これを外部から「その規約の適用は過剰だからやめろ」と法で強制するのは、かなり異例の立法方向。
ではどこに希望があるか
可能性があるとすれば:
第一に、競争圧力。プラットフォーム間の競争が、過剰規制のコストを可視化する経路。Tumblrがアダルト禁止にしてユーザーを失い、そのユーザーがTwitterに流れた——この種の市場的フィードバックが、プラットフォームの意思決定を変えうる。ただしこれはApp Storeのゲートキーパーがいる限り不十分。
第二に、EU的な規制アプローチの波及。DMAやDSAは「大きすぎるプラットフォームは私企業の論理だけでは運営させない」という方向に踏み込んだ。この延長線上に「過剰削除の制限」が乗る可能性はある。ただしEUの関心は競争政策であって、グレーゾーンの文化的価値ではない。
第三に、認知の転換——結局ここに戻る。法律が先にあるのではなく、「これは問題だ」という社会的認知が先にあって、法律はその後からついてくる。公害も、環境規制の前に水俣病の写真があった。グレーゾーンの消滅については、まだ「水俣病の写真」に相当するものが社会に共有されていない。
つまり論考の結論は、制度設計の検討は理論的に必要だが、現実の変化の起点は認知の提供のほうにあるということかもしれない。第7章の議論が実は制度設計の第5章より重要だという構成上の逆転が起きている。
残りの5%のためのプラットフォーム
華々しい解決策はない
多少面倒だが、即死しないようにする
互助する
「VISAが嫌がるからこのジャンルを切りましょう。売上の95%は守れます!」に対して「設計思想と違うからだめ」と即座に言えなければならない
95%の売上がなくなってもサービス継続できるか、そもそもこういう構造になってはいけない
単なる変なやつらのためだけではなく、他の95%のためでもあるがあまり理解されないだろう。
Q. 誰のためにプラットフォームを作るのか?ゴールは?
A. 「エッジのクリエイターに逃げ場がある」状態を維持する
シナリオA:代替決済の利便性がVISA並みになる。 stablecoinのUXが改善され、ウォレット管理が透明になり、一般ユーザーが意識せず使えるようになる。この場合、DLsite/FANZAが自ら実装する可能性が高い。あなたの出番はない。そしてあなたはそれで満足だ。
シナリオB:代替決済の利便性がVISA並みにならない期間が長く続く。 この場合、エッジの5%のクリエイターは「摩擦はあるが販売できる場所」と「摩擦はないが作品が消される場所」の選択を迫られる。あなたのプラットフォームは前者になる。
勝利条件:自分のプラットフォームが役割を終えてなくなること
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シナリオAが実現した瞬間に、あなたのプラットフォームの歴史的役割は終わる——それでいい、というのがあなたのスタンスだ。これは通常のスタートアップの思考とは全く異なるが、理念駆動のビジネスとしては完全に整合している。自分が不要になることが勝利条件になっている事業は、存在そのものが健全だ。
この「自分が不要になったら勝ち」という構造は、投資家には絶対に説明できないが、あなたの信念とは完全に一致している。そしてそれが、VCから金を入れず小さく始めるべき根本的な理由でもある。 できることを示す
イノベーションのジレンマでは、既存企業が「できない」のではなく「しない」ことが重要だ。技術的にはできるのに、組織的・経済的な理由でしない。
DLsite/FANZAも同じで、決済と掲載の分離は技術的には可能だろう。しかし「既存のVISAとの関係を少しでもリスクにさらすことを選べない」という判断が、それを阻む。
あなたが構想を実際に動かして成功した場合、DLsite/FANZAが模倣する可能性がある。あなたが先に「検索と決済の分離」で問題なく運営できている実績を作れば、DLsiteが「あれ、やってもいいのか」となる。
その時あなたのプラットフォームはDLsiteに食われるかもしれない。しかしそれもまたシナリオAと同じで、あなたの勝利条件は満たされている。
最も単純なもの
VISAなどの決済がない代わりに、その規制もないサイトを作る
VISA決済できないが催眠は伏せ字にならないマイクロDLsite
チョークポイントが移動しただけで、革新性はない
サービスは決済手段を分散したいが、ユーザーは面倒だから分散したくない。だからVISAが使われる
いま世界は化石燃料危機のまっただ中だ。イランによるホルムズ海峡封鎖で湾岸産の石油・LNGが市場に出回らなくなり、ガソリン価格は先月だけで1ガロン1ドル以上、ディーゼルは1.60ドル以上も跳ね上がった。 そんな緊急事態にあってもトランプ政権はブレない。洋上風力への妨害が裁判所に何度も差し止められても、今度は内陸部の風力・太陽光の連邦許認可を凍結し、さらに内務省はフランスのエネルギー大手TotalEnergiesに約10億ドルを払って東海岸沖の大型洋上風力2件を「開発しないでもらう」という、前代未聞の買収工作に出た。
再エネはもはや「実験段階」なんかじゃない。テキサス州では電力発電量の3分の1以上を再エネ(主に風力)が担っており、しかも近年の発電量増加のほぼ全部を再エネが占めている。環境左翼の巣窟でも何でもない州でこれが起きている。
じゃあなんで潰したいのか。政権の説明は「洋上風力はレーダーを妨害して安全保障上の脅威」だが、これは内陸の風力・太陽光には当てはまらないし、裁判所も相手にしていない。内務長官は「風力は高くて不安定」と言うが、それなら民間企業に10億ドル払って開発させないようにする必要がどこにあるんだ?
説明の一つは選挙資金だ。化石燃料企業の政治献金は今や共和党にほぼ一極集中しており、コーク兄弟を筆頭とする化石燃料利権が数十年がかりで再エネ敵視イデオロギーをメディアやシンクタンクを通じて育ててきた。トランプの「風力発電がクジラを狂わせている」みたいなトンデモ話も、その宣伝機械から仕入れたものだ。 ただし一般国民レベルでは洋上・太陽光への支持は根強い。2020年時点では共和党支持者の大多数でさえ再エネに好意的で、トランプ第2期で多少揺らいでいるとはいえ、Pewによれば今もアメリカ人の相当多数が「化石燃料より風力・太陽光を優先すべき」と考えている。極端に反再エネなのはエリート層だけだ。
核心にあるのはノスタルジーと不安な男性性だ、というのが結論だ。右派エリートが「再エネはウォーク(意識高い系)だ、本物の男は燃やす」と蔑む背景には、「力こそ正義」だったと想像される過去への郷愁と、それが崩れることへの不安がある。ドローン時代に「戦士の精神」と筋肉を礼賛し、自動化時代に「男らしい」肉体労働の復活を夢見る心理と同根だ。
結果、関税は製造業を取り戻せず、イラン相手の強硬策も楽勝にはほど遠く、エネルギー革命に背を向けることでアメリカは安全保障上も経済上も損をし、未来を他国に明け渡している。それでも化石燃料利権もトランプ政権も「かまわない」という態度らしい