2025/2/27 現代詩 など
今日は元気に過ごしました。
芦川和樹『犬、犬状のヨーグルトか机』を読む。
音楽に映像がつくと直感的に分かるような気がする(ヴィム・ヴェンダースがその天才だと思うのだけど)のと同じように、詩に音楽をつけてもらうともう少し腹に収まりそうな気がする。
言葉を徹底的に脱臼させていくタイプの詩に対して「わかる」もクソもないのかもしれないが。
現代詩と批評について言えば、武久さんの「詩の語り方を再考しなくてはならない」()が重要な指摘をしてると思う。 もう無料で読めなくなってるので肝心なところが確認できていないんだけど…
読者を詩につなげるために、読者と信頼関係を築ける批評が必要、みたいな趣旨だったと思う。違ってたらマジですいません…
『犬、犬状のヨーグルトか机』に話を戻すと、どう読んだらいいのか、というかどっからどんなふうにどんな向きで読んだらいいのか全然分からんかったけど、楽しいと感じる感じだった。
音楽がついてたら分かるかもしれない、というのは音(どれみ、あるいは拍子)に音(あいうえお)をどう乗せるか、みたいなところに気持ちよさのフックがたくさん生じるからかもしれない。
短歌とかの韻はそれをミニマルに、同時にポップにやっているのだとも思う。
現代詩をわりに面白いと思っているからたまに読むわけだけど、あの詩人とこの詩人の違い、みたいのが分からない。お米のブランドの違いぐらい分からない。
小笠原鳥類の例の本を読まないといけないな。高くて買ってない。
以前とある読書会に参加したとき、ほぼ自分だけアウェーで他の人が仲よさげで、参加者のバックグラウンドも分からんままウルトラ釈迦に説法みたいなことをしてしまい、めちゃくちゃ怖かった、のを時々思い出してそれだけでめっちゃ怖くなってしまうことがある。本の感想みたいなことを書きながら、とにかくもう黙っていよう、みたいな気持ちにもなってしまう。
こないだ、駅構内のカフェで電波が繋がりづらかったので阪急阪神Wifiに久しぶりに繋ごうとしたら、インバウンド専用になっていて使えなかった。あーあ。
楽天モバイルが繋がりにくいのが悪い。
楽天モバイルが繋がらない場所いちらん:家のマンションのロビー、エレベーター、近所のセブン、梅田のフレッズ、近所の地下のスーパー
なんか正しいな、と思える連絡がきた
https://scrapbox.io/files/67c0496c64c8bab5b6e3d209.png
昨日、ふすま一枚はさんで息を潜めて居留守してたんだけど、なんか人の気配は確実にあるのに触れてはいけない存在みたいな、日本家屋に条件付けられた関係性がある…などと思った。
持田敦子さんの映画『解体』で、「豊かな解体」が一貫して"thorough demolition"と訳されていたのがめちゃくちゃ気になった。本当になんで?????
非常に眠いのでもう寝ます。