2025/2/16 日記、落馬、料理、読書、バレンタイン
2025/2/16
行頭にスペースを打つと箇条書きになるの、落ち着かない。全角のままでもいけるから打ちやすいのか。
SNSに依存しすぎて報酬系がぶっ壊れてる気がするので、しばらく日記だけ書いてみます。Cosenseを選んだのはRSSフィードを出せるから。みんなの日記も(SNS以外の手段で)教えてほしい。
先週の土曜日に馬から落ちて腰椎横突起なる部分を骨折した。昨日くらいから歩くのが楽になってきて、機嫌がなおった。回復の過程というのはかなり楽しいというか、気持ちがいいというか、風邪が治っていくのとかもかなり好き。
よく考えるんだけど、ふとしたことで半身不随になるとか、あるいはゆくゆく寝たきりに近くなるとか、病気で慢性的な痛みを抱えるとかしたときに、不機嫌で苛々した陰鬱な人間になりたくない。しかし今のところ、ちょっとしたことが上手く行かないだけで苛々してしまう性格なのでそうなりそうで、今のうちに人格を陶冶しなければならない。その練習をするつもりだったけど、家では苛々するし外では遠慮したり無理したりで、全然だめだった。
乗馬は年末に始めたばかりだけど、落ちたのがショックで、YouTubeでたくさん落馬関係の動画を見た。再開できるようになったら並足だけのクラスに何回か行って馬の反応に慣れたり、馬とのコミュニケーションをもう少しできるようになって恐怖心を減らすところから始めようと思う。
こないだ、切り干し大根を戻して煮たやつ?(これの名前も切り干し大根?)を作った。この世の料理全部のなかでも5本の指に入るくらい好きだし作るのめちゃくちゃ簡単なのにあんま作ってない。ひとつには、スーパーの乾物コーナーをわざわざ通らないことが多いからだと思う。もっと作ろう。
戻さずに食べるのも好きなんだけど、切って干した大根にあらためて水を含ませて加熱することでどうしてこんなにうまくなるのかさっぱり分からない。
逆にしいたけは干しより生が好きです。
昨日入ったおでん屋のつきだし(つけだし?)が、青菜としいたけ(これは干しだったと思う)のおひたしに柚子の皮が乗ったもので、じつにまったく非常に好ましいと思った。
https://scrapbox.io/files/67b1baab99662ce2a34b341b.jpg
家の料理で柚子とかそういったものを使うのはけっこうハードルが高い。微妙に高いし余るため。
でも切り干し大根の切り干し大根(?)に柚子を入れるといいだろうなー。持ち寄りパーティでもあれば、そのようなものを用意します。
今日はオンラインで翻訳ゼミに出ていたので、パートナーが昼ご飯を作ってくれた。ありがたいことです。自分で料理するのはもちろん好きなのだが、人が料理している台所から聞こえてくる音や漂ってくる香りが好きで、まあ単純に幼少期を思い出すからかもしれない。
https://scrapbox.io/files/67b1babde847a468b5c77fa4.jpg
あと、お茶のピッチャーで昆布出汁を作ることを始めてみた。
今日開けた紅茶はロンドンティールームの「カウンテスロンドン」。ちょっとパンチがあっておいしい。
夜は小松菜のおひたしと、ナムル(もやしとほうれん草とニラ)と、ごぼうの唐揚げ。食後に八朔。今のところ八朔の一番早い剥き方は、縦に4つに切って見えてる身はかじって、袋を1個ずつにわけて綴じ目のところをまとめて包丁で切ってから剥く。縦に切るときに切れてしまう袋だけ別扱いになるのは面倒。外の皮を剥くのが素早くできたらいい。昔おばあちゃんちに鳥の形をしたプラスチックの柑橘皮むき専用ナイフがあったけど。
https://scrapbox.io/files/67b1badcc128a450672ff58a.jpg
最近、油揚げを袋に入ったまま切るというのをやっている。包丁には悪いことをしてる気持ちになるけど、洗い物が減るし、使うときも袋からパラパラ出せばいいだけなので非常に楽。
おとつい『労働廃絶論』と『悪口論』のダブル刊行記念イベント(?)を聞きに行った。話題はブラックの『労働廃絶論』と、それより長い解説を書いた久保さんのユニバーサルベーシックインカムについての議論が中心で、極端な新自由主義+人に金で言うことを聞かされないためのBI、というアイデアは面白いと思ったけど、誰もが個人事業主っぽくなれたとして、金融資本主義が残るなら銀行のいうことを聞かされるしな…と思った。雇用がなくなるならもしかしたら当然の前提として融資とか金利みたいなものもなくなるという議論なのかもしれないけど
自分は労使関係とか組織の人間関係が無理すぎて2人会社の役員の1人になったけど、やっぱ融資受けないとスケールが難しい。スケールとかしようとするなって話かもしれん。
それはそれとして、小峰さんがよく話す占有の話……も不動産をやっていると身につまされるというか、所有権が全てみたいなビジネスだから。
家賃をずっと滞納している人に裁判をしながら、その人を否定しきれないという偽善的な気持ちがある。他方で差し押さえられた家を買って債務者を事実上追い出したりもしており、このビジネスをやる以上何言っても偽善という感じ。
とはいえ、所有することによって再開発に抵抗したり、みたいなことをしたい。
最近、日本の現代小説をちょこちょこ読んでいる。いままで余りに読んでなさすぎたので。
宇佐見りんの『かか』も安堂ホセの『DTOPIA』も、「待たれていた」と感じるような傑作だった。一時期(いつごろだっけ)の日本語の小説には心底興味を持てなくて、それで読まなくなっていたんだったと思うけど。
たとえば『真ん中の子どもたち』とか、ラシュディ=バーバの言説におもくそ目配せしつつも教科書的に落とし込まれていて、つまんないとは言わないけど刺激的でもないし、全然違うんだけど多和田葉子とかもなんか乗れなかった。日本語の小説に限らず、多分ある時期の「世界文学」に全体的に乗れなかったんだと思う。
女性のことを問題にする女性の小説という意味では川上未映子とかもなんかちがくて、あと村田沙耶香とか藤野可織とかもちがかった。逆に(?)津島佑子はめっちゃ好きです。否定神学的に褒めるのをやめてちゃんと書いたほうがいい。
あと、最近手をつけた本で言うと『左官礼賛』。去年京都で壁塗りワークショップに参加したときに教えてもらった本で、左官の業界紙かなにかに連載されていた短いエッセイをまとめたもの。ストレートに近代批判なんだけど、自分は左官の技術、古来の家造りの技術に魅力を感じているから面白いし、「水で結ばれたものは水でほどくことができるし、ほどくことが出来るものはまた結ぶことができる」みたいな言葉づかいが上手い。
最近自分で古民家の壁を漆喰で塗ったりしてるし、漆喰しか壁に使わないハウスメーカーとかもあるけど、かといって古い家造りの思想を取り戻せるわけではない。それは多分共同体全員が全員のために働く、みたいな今と全く異なる社会システムを伴うものだろうから、一部だけ取り出して使っても伝統芸能かアプロプリエーションにしかならない。どうしたらいいんですかね。
『ツイン・ピークス』見始めて、1エピソードの長さにおーばーうぇるむされてやめちゃった。長い映像見るのが苦手。
ところで先述のトークイベントがちょうどバレンタインの日だったのでハーシーのキスチョコレート(これどこを取って呼ぶんでしたっけ、ハーシー?キス?キスチョコ?)を手土産に持参した。おいしいし、薄くて細い紙紐をひっぱって剥くのが楽しいからね。大勢で食べてもらえてよかった。
バレンタインというイベントに対する距離感を毎年測りかねている。シカトするのが一番リベラルなのかもしれないが、一番おもしろくない。
幼稚園の頃に同級生の女の子に「ねえねえ、なんこあげた?」と聞かれて何一つ意味が分からず適当に「2個」と答えてギャーギャー言われたのがことの始まりであった。
それ以来、ながいこと貰う側だった。チョコレートなりお菓子なりを用意するのは、中高大と女子校だったこともあってか、"女子"のなかでもとりわけフェミニンな人々のすることであり、自分はその好意をふんぞり返って受け取るだけでよいのである…と思っていた。お菓子作りが得意な人々がたくさんいて、それはおいしいものをたくさんいただいたものです。
その後になると、名誉男性志向だったので男とばかりつるむようになる。面倒くさい性格が極まっていた時期でもあり、アイロニカルに性役割をプレイしてますみたいな体でいながら本気(マジ)でモテようという試みのなかでバレンタインを使った。
さらに時は経ち、人にものを食わせることの単純な喜びが自覚されると、ベタにバレンタインをやりたくなる。今ここです。
性役割と自分の趣味嗜好が一致したりしなかったりする場面で、性役割っぽいことをアイロニカルにやるかリテラルにやるか強制されるか、というのは難しい。化粧とかファッションとかもそうで。高島鈴の数日前のツイートを見て色々考えたけど、書くの疲れたからまた今度。
髪色を左右のツートンカラーにしました。
その他、自分の住所印(名前と電話番号もセットで)を注文した。書類に手書きしなければいけない機会がちょこちょこあり、この先もあり続けるだろうと思ったので。多分超便利だと思う。
#日報 #本 #料理 #読んだ本